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赤木城 あかぎじょう

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日本の城がわかる事典の解説

あかぎじょう【赤木城】

三重県熊野市にあった比較的小規模な平山城(ひらやまじろ)。国指定史跡。比高30~40mの丘陵の突端に築かれていた城である。城の規模は小さいが、高さ約3mの野面積みの石垣の遺構が現存している。築城当時の原形を残した城跡は全国的にも貴重である。豊臣時代、和泉・紀伊・大和の3国は大和国郡山城を居城としていた羽柴秀長羽柴秀吉・のちの豊臣秀吉の弟)の領国だった。1588年(天正16)、秀長が熊野・北山地方で検地を実施しようとしたところ、検地に反対して天正一揆が起きた。一揆勢は寺谷城に籠城し、新宮城の堀内氏善、豊臣秀吉の代官・吉川平助が神山城を拠点に鎮圧に乗り出した。翌1589年(天正17)、吉川平助に代わって藤堂高虎(当時高虎は秀長に仕えていた)が北山代官として一揆の討伐を行った。高虎は一揆を制圧した後、この城を築いたといわれている。和歌山藩が編纂した『紀伊風土記』によれば、城の完成後、高虎は周辺の住民に登城して祝儀を述べるよう布令を出し、混じって登城した一揆の関係者を捕らえて、赤木城の西方の田平子峠でさらし首にしたといわれる。1614年(慶長19)、新宮城主の浅野忠吉大坂冬の陣に出陣した不在をねらって、再び一揆が起こった。北山一揆とよばれる。紀伊和歌山藩(紀州藩)主の浅野長晟の軍勢が、この一揆の制圧に当たったが、このときにも赤木城は征伐の拠点として利用された。JR紀勢本線新宮駅からバス、赤木下車。またはJR熊野市駅から車で約40~50分。紀勢自動車道の紀勢大内山ICからは車で約2時間30分。

出典|講談社
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