赤松義祐(読み)あかまつ よしすけ

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「赤松義祐」の解説

赤松義祐(2) あかまつ-よしすけ

1501-1576 戦国-織豊時代武将
文亀(ぶんき)元年生まれ。赤松晴政(はるまさ)の子。美作(みまさか)(岡山県)新庄山城主。備前(岡山県)天神山城主浦上宗景(むねかげ)とあらそい,織田信長とむすぼうとしたが,池田勝政(かつまさ),伊丹親興(いたみ-ちかおき)らが宗景をたすけたため,永禄(えいろく)12年城を追われた。天正(てんしょう)4年2月15日死去。76歳。

赤松義祐(1) あかまつ-よしすけ

?-? 南北朝-室町時代の武将。
赤松則祐(のりすけ)の子。明徳2=元中8年(1391)明徳の乱で兄たちが戦死したあと,摂津有馬郡(兵庫県)の守護となり,以後有馬氏を名のった。没年については応永19年(1412),28年,30年説がある。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

《「晋書」杜預伝から》竹が最初の一節を割るとあとは一気に割れるように、勢いが激しくてとどめがたいこと。「破竹の勢いで連戦連勝する」[類語]強い・強力・強大・無敵・最強・力強い・勝負強い・屈強・強豪・強...

破竹の勢いの用語解説を読む