赤羽焼窯跡
あかはねやきがまあと
江戸時代末より赤羽地籍で営まれた陶器焼窯。江戸時代末に濃尾方面へ中馬稼ぎに出向いていた赤羽村の小松五右衛門と北小河内村(現箕輪町)の小島盛右衛門が赤羽村の粘土に着目し、これを美濃に持参して試し焼きしてもらったところ良質の陶土であることがわかり、本洗馬村(現塩尻市)の松助という陶工を招き、元治二年(一八六五)に製造にとりかかった。
同年三月の赤羽村五右衛門等瀬戸焼敷地借用証文(小松文書)に、
<資料は省略されています>
と記されている。
製品は鉢・丼・摺鉢・土瓶・急須・徳利・甕などで近在から隣国にかけて売りさばかれた。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
Sponserd by 