越賀村(読み)こしかむら

日本歴史地名大系 「越賀村」の解説

越賀村
こしかむら

[現在地名]志摩町越賀

先志摩さきしま半島の中央部にあり、西に御座ござ村、東に和具わぐ村と接する。「神鳳鈔」に「越賀」、「外宮神領給人引付」(神宮文庫蔵)布浜めはま御厨とあり、「玉葉」の承安二年(一一七二)一一月一日条・一二月六日条にも越賀御厨事と記している。中世城館として越賀城跡が城山しろやま岬にある。土地は狭小であるが地形はよく、今も三方に土塁を残している。北東の土塁には石組があり、以前は横穴式古墳かと思われる。越賀氏初代玄蕃允隆俊・二代隆政・三代隆春の居城九鬼氏に対抗したが後に降り、嘉隆の家老となり、朝鮮の役・大坂の陣で功をたて、九鬼氏の国替で摂津三田さんだ(現兵庫県)へ移った。

近世を通じて鳥羽藩領で、英虞あご郡に属した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ユーラシア大陸、北アメリカ大陸北部に広く分布し、日本では北海道にエゾヒグマが生息する。成獣は体長2メートル以上、体重300キロにもなり、日本最大の陸生動物として知られる。雑食性で草や木の実、サケ、シ...

ヒグマの用語解説を読む