趙治勲(読み)ちょうちくん

日本大百科全書(ニッポニカ) 「趙治勲」の意味・わかりやすい解説

趙治勲
ちょうちくん
(1956― )

囲碁棋士。韓国のソウル市生まれ。1962年(昭和37)6歳のとき来日し、木谷実九段に入門。1968年史上最年少の11歳で入段、15歳で5段、19歳で7段という驚異的な昇段を果たし、24歳での九段到達は日本棋院の最年少記録。1980年名人位を獲得、以後1984年まで5連覇し、名誉名人資格を得た。1981年本因坊、1982年十段位、1983年棋聖位を獲得。1986年交通事故に遭ってから次々とタイトルを失うが、1987年には天元を獲得。1988年十段位を奪回。1990年(平成2)世界選手権優勝。1993年8年ぶりに棋聖位。1994年王座、1996年本因坊8連覇を達成。同年王座を失うが、名人位を獲得し、13年ぶり二度目の大三冠(名人・棋聖・本因坊)を達成。大三冠達成は棋界ただ一人。1980年韓国銀冠文化勲章受章。1996年棋道賞最優秀棋士賞受賞、同賞を通算6回受賞。

[編集部]

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「趙治勲」の解説

趙治勲 ちょう-ちくん

1956- 昭和後期-平成時代の囲碁棋士。
1956年6月20日韓国釜山生まれ。昭和37年6歳で来日し,木谷実に入門。43年初段,56年9段。昭和55年名人位を獲得し,以後5連覇(通算8期)。56年本因坊も獲得。62年碁界初の公式戦七大タイトル制覇を達成。昭和58年と平成8年に名人,本因坊,棋聖の三大タイトルを独占する大三冠。10年史上初の本因坊10連覇。名誉名人,名誉本因坊(号は治勲)の資格をもつ。20年1300勝を達成。22年通算1364勝をあげて林海峰のもつ最多勝記録をぬいて史上1位となる。韓国語読みはチョ-チフン。

趙治勲 チョ-チフン

ちょう-ちくん

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367日誕生日大事典 「趙治勲」の解説

趙 治勲 (ちょう ちくん)

生年月日:1956年6月20日
昭和時代;平成時代の棋士

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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