木谷実(読み)きたにみのる

日本大百科全書(ニッポニカ) 「木谷実」の意味・わかりやすい解説

木谷実
きたにみのる
(1909―1975)

棋士神戸市に生まれる。1917年(大正6)鳥居鍋次郎(なべじろう)五段に教えを受ける。1924年15歳で初段。1933年(昭和8)秋の大手合で呉清源(ごせいげん)とともに新布石を発表し、この年六段となる。1938年本因坊秀哉(しゅうさい)(1874―1940)名人引退碁の対戦者となり、先番五目勝ち。川端康成の『名人』はこの対戦をモデルとしている。1956年(昭和31)九段。1957年、1958年の第2期、第3期最高位戦で優勝した。棋風は力戦型で、若いころから怪童丸という異名をとった。門下に岩田達明(1926―2022)、大平修三(1930―1998)、加田克司(かだかつじ)(1931―1996)、大竹英雄(ひでお)(1942― )、石田芳夫(1948― )、加藤正夫(1947―2004)、武宮正樹(まさき)(1951― )、小林光一(1952― )、趙治勲(ちょうちくん)らの俊秀が輩出している。小林礼子(1939―1996)六段は次女。1965年紫綬褒章(しじゅほうしょう)を受章した。

[河野直達]

『『木谷実全集』全5巻(1977~1978・筑摩書房)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「木谷実」の意味・わかりやすい解説

木谷実
きたにみのる

[生]1909.1.25. 神戸
[没]1975.12.19. 神奈川,平塚
囲碁棋士。鳥居鍋次郎,鴻原正広,久保松勝喜代らに師事し,1921年上京,鈴木為次郎門下となる。 24年2月中央棋院で入段し,その年の日本棋院創立に参加。若い頃「怪童丸」の異名をとり,33年秋呉清源とともに新布石旋風を起した。 38年本因坊秀哉の引退に際し「本因坊名人引退碁」の相手に選ばれた。翌年呉と十番碁を打ち,打込まれた頃から勝負運が下降しはじめ,第2次世界大戦後3度の本因坊挑戦もむなしい結果となった。 56年9段に昇進後進の育成の志厚く,一門の段は 300を突破,名人,本因坊,十段など多くタイトルを総ざらいするにいたった。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「木谷実」の解説

木谷実 きたに-みのる

1909-1975 大正-昭和時代の囲碁棋士。
明治42年1月25日生まれ。小林礼子の父。大正10年鈴木為次郎の門にはいる。昭和8年呉清源(ご-せいげん)と新布石を提唱。13年本因坊秀哉(しゅうさい)名人の引退碁で名人を破る。31年9段。本因坊に3度挑戦したが敗れ,悲劇の棋士といわれた。内弟子を養成し,木谷道場からは大竹英雄,加藤正夫,武宮正樹,石田芳夫,小林光一,趙治勲(ちょう-ちくん)らおおくの棋士を輩出した。昭和50年12月19日死去。66歳。平成22年囲碁殿堂入り。兵庫県出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

百科事典マイペディア 「木谷実」の意味・わかりやすい解説

木谷実【きたにみのる】

囲碁棋士,9段。神戸生れ。鈴木為次郎門下。呉清源と並び称され,昭和初期の碁界に〈新布石時代〉を画したが,タイトルには恵まれなかった。多くの門下がいる。

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

世界大百科事典(旧版)内の木谷実の言及

【碁】より


[現代の名棋士]
 昭和前半の碁界は,1928年来日した北京生れの呉清源(1914‐ )の活躍が目を引く。33年木谷実(1909‐75)とともに世に問うた〈新布石〉はそれまでの布石の常識を根底から揺さぶり,碁に新しい座標を与えた。碁の可能性が一段と広がったのである。…

※「木谷実」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

脂質異常症治療薬

血液中の脂質(トリグリセリド、コレステロールなど)濃度が基準値の範囲内にない状態(脂質異常症)に対し用いられる薬剤。スタチン(HMG-CoA還元酵素阻害薬)、PCSK9阻害薬、MTP阻害薬、レジン(陰...

脂質異常症治療薬の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android