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足利政氏館 あしかがまさうじやかた

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日本の城がわかる事典の解説

あしかがまさうじやかた【足利政氏館】

埼玉県久喜市にあった城館。築城年代は明らかではないが、初代古河公方足利成氏、あるいは彼の家臣が太田荘を防衛するために築いたと考えられている。成氏死後の1496年(明応5)に、成氏の長子の政氏が第2代の古河公方に就任した。当時、山内上杉氏と扇谷上杉氏は対立関係にあり、政氏は当初、扇谷上杉定正を支援したが、のちに山内上杉氏支持に転じた。その後、政氏は嫡子の高基や、高基の弟の義明(のちの小弓公方)と対立した。山内上杉顕定が越後の分郡守護代の長尾為景上杉謙信の父)討伐で戦死すると、山内上杉家の家督をめぐっても高基と対立。高基は簗田高助の関宿城(千葉県野田市)に、政氏は小山成長、政長の小山城(祇園城、栃木県小山市)を拠点として、両者の争いがさらに激しくなった。1516年(永正13)、高基が古河城(茨城県古河市)に強入部して武力を背景に古河公方を相続し、小山城の小山政長が高基派に転じたため、政氏は岩槻城(さいたま市)に移り、出家して道長と号した。その後1518年(永正15)に、政氏の有力な支持者だった扇谷上杉朝良が死去すると、政氏は足利政氏館に隠居し、この館に永安山甘棠(かんとう)院を開山して、開基に政氏の弟とも三男ともいわれる貞巌和尚をすえた。政氏は隠居後、高基と和睦し、1531年(享禄4)に甘棠院で死去している。現在、城館跡は甘棠院の境内となっているが、かつての水堀あるいは空堀跡が残っている。JR東北本線久喜駅から徒歩約15分。

出典|講談社
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