日本大百科全書(ニッポニカ) 「足利氏木像梟首事件」の意味・わかりやすい解説
足利氏木像梟首事件
あしかがうじもくぞうきょうしゅじけん
幕末の尊攘(そんじょう)運動のなかで、徳川将軍に天誅(てんちゅう)を加える意を示すため、足利将軍3代の木像の首をさらした事件。1863年(文久3)2月22日、京都等持院(とうじいん)に安置されていた尊氏(たかうじ)、義詮(よしあきら)、義満(よしみつ)の木像の首を引き抜き、三条河原にさらし、幕府に対し有志の挙兵を訴えた。主謀者は、三輪田綱一郎(元綱)、師岡正胤(もろおかまさたね)(節斎)ら平田派の国学者のほか、長尾郁三郎、小室利喜蔵(こむろりきぞう)(信夫(しのぶ))、西川善六など商人や豪農、浪人が多く、尊攘激派の先駆けであった。
[池田敬正]