小室信夫(読み)こむろしのぶ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「小室信夫」の意味・わかりやすい解説

小室信夫
こむろしのぶ
(1839―1898)

実業家、政治家。天保(てんぽう)10年9月晦日(みそか)(別書では正月)丹後(たんご)国与謝(よさ)郡岩滝村(京都府与謝野(よさの)町)に生まれる。豪商山家(やまが)屋の一族で、生糸縮緬(ちりめん)商を営む。初名利喜蔵(りきぞう)・信太夫。訒菴(じんあん)と号す。京都で尊攘(そんじょう)派志士と交わり、1863年(文久3)足利(あしかが)氏木像梟首(きょうしゅ)事件に参加、徳島藩に幽閉される。1868年(明治1)釈放後同藩士に列し、徴士権弁事(ちょうしごんべんじ)、岩鼻(いわはな)県知事、徳島藩大参事、少議官、三等議官を歴任、1872年10月退官した。その間、同年1月各国視察を命ぜられ、主として鉄道事業を調査し、1873年帰国した。1874年民撰(みんせん)議院設立建白に加わり、ついで自助社(じじょしゃ)、愛国社の創立にも参加した。以後は実業界で活動し、第百三十国立銀行、奥羽鉄道、北海道運輸、京都鉄道、小倉製糸など、多くの会社企業をおこし社長・重役となる。その間、1883年共同運輸会社の創立委員となり、1885年三菱(みつびし)会社と合併し日本郵船会社となるや理事に就任した。1871年勅選の貴族院議員となる。明治31年6月5日死去。

[原田久美子]

『『百官履歴 下巻』(1928・日本史籍協会)』『山田立夫著『小室訒葊翁父子小伝』(1924・私家版)』『服部之総「小室信夫」(『歴史』9号・1937/『服部之総著作集 第6巻』所収・1955・理論社)』『塩尻正「小室信夫に見られる自由民権運動の性格」(『立命館文学』108号所収・1954)』

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百科事典マイペディア 「小室信夫」の意味・わかりやすい解説

小室信夫【こむろしのぶ】

政治家,実業家。丹後(たんご)の縮緬(ちりめん)問屋の出身。尊攘派志士と交遊,1863年足利氏木像梟首(きょうしゅ)事件に参加。1868年阿波(あわ)徳島藩徴士として上京。岩鼻県権知事,左院少議員などを歴任。1872年征韓論に敗れて下野愛国公党に参加,民撰議院設立建白,自助社結成など民権運動に従う。1875年大阪会議斡旋(あっせん)以後実業界に転じ,1882年日本郵船の基礎となった共同運輸会社設立,のち日本郵船会社理事。1891年貴族院議員。
→関連項目小室信介

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改訂新版 世界大百科事典 「小室信夫」の意味・わかりやすい解説

小室信夫 (こむろしのぶ)
生没年:1839-98(天保10-明治31)

明治前期の政治家,実業家。丹後縮緬の豪商だったが,尊王攘夷運動奔走,1863年(文久3)京都等持院にある足利氏累代の木像を斬ってその首をさらしものにした,木像梟首(きようしゆ)事件に参加し,斬奸状を起草した。のちに自首して獄に投ぜられた。維新後69年(明治2)上野岩鼻県権知事となり改革的・改良的県政を行う。72年少議官となり,欧米を視察し,イギリス立憲政治を学ぶ。帰国後,鉄道事業の調査を行うが,征韓論に敗れて下野する。74年板垣退助らと民撰議院設立建白書を左院に提出し,75年大阪会議の斡旋役をつとめた。以後実業界に転身し,大阪築港その他多くの会社に関係,82年官有船の払下げを受け北海道運輸会社設立,翌年,日本郵船会社の基礎となった半官半民の共同運輸会社創立に尽力した。91年勅選貴族院議員となる。
執筆者:

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新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「小室信夫」の解説

小室 信夫
コムロ ノブオ


肩書
貴院議員(勅選)

生年月日
天保10年1月(1839年)

出生地
丹後国与謝郡岩滝村

経歴
家は丹後の豪農。尊王運動に投じ、文久3年同志とともに京都等持院にある足利尊氏の木像を切ってさらし首にし、熊本、徳島と逃れ、元治元年自首して入獄。明治元年釈放され、徳島藩に仕え、2年上野岩鼻県権知事、3年徳島藩大参事、5年蜂須賀茂韶に従い欧米視察。7年板垣退助らと民選議院設立建白書を左院に提出。8年大久保利通、木戸孝允、板垣らの大阪会議を斡旋した。その後実業界に転じ、15年北海道運輸会社を設立、16年井上馨らの援助で共同運輸会社創立に尽力。24年勅選貴院議員。

受賞
勲四等

没年月日
明治31年6月5日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

朝日日本歴史人物事典 「小室信夫」の解説

小室信夫

没年:明治31.6.5(1898)
生年:天保10.9.30(1839.11.5)
明治期の政治家,実業家。丹後国与謝郡岩滝村(京都府宮津市)の縮緬問屋分家小室佐喜蔵の長男。信太夫とも。文久3(1863)年京都等持院の足利尊氏らの木像梟首事件で徳島藩に預けられる。慶応4(1868)年徳島藩徴士となり,明治2(1869)年岩鼻県(群馬県,埼玉県)権知事。5年蜂須賀茂韶に同行して渡英し鉄道事業などに関心を持つ。帰国後,板垣退助らの民選議院設立建白書起草に関与。次第に実業界に移り,梟首事件で世話になった品川弥二郎らと共同運輸会社(のちの日本郵船)を創立。また鉄道,麻,銀行などの会社を設立した。<参考文献>服部之総「小室信夫」(『服部之総著作集』6巻)

(牧原憲夫)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「小室信夫」の解説

小室信夫 こむろ-しのぶ

1839-1898 幕末-明治時代の尊攘(そんじょう)運動家,実業家。
天保(てんぽう)10年9月30日生まれ。文久3年同志とともに京都等持院の足利尊氏像などの首を三条河原にさらし,徳島藩に幽閉される。明治7年板垣退助らと民撰議院設立建白書を提出。16年品川弥二郎らと共同運輸(のち日本郵船)を設立した。貴族院議員。明治31年6月5日死去。60歳。丹後(京都府)出身。初名は利喜蔵,信太夫。名は「のぶお」ともよむ。

小室信夫 こむろ-のぶお

こむろ-しのぶ

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

山川 日本史小辞典 改訂新版 「小室信夫」の解説

小室信夫
こむろしのぶ

1839.9.30~98.6.5

明治期の政治家・実業家。丹後国生れ。尊攘運動に参加ののち,明治新政府に出仕。徳島藩大参事などをへて,1872年(明治5)イギリスで立憲制度を視察し,翌年帰国。左院3等議官に就任したが征韓論争で下野。74年1月の板垣退助らの民撰議院設立建白に参加。のち実業界に転じ,共同運輸・日本郵船の設立に尽力した。民権家小室信介は女婿。

出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報

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