日本古代の軍団職員。国司の指揮下におかれ,軍団の業務に配置された一種の国衙の下級官人。軍団は兵士を徴発し,兵士,武器,兵糧を征軍に提供する軍事組織であり,兵士引率の規模に対応して一軍団に1~2人の軍毅が任命された。軍団職員は,軍毅(大毅,少毅,毅)のほか,校尉,旅帥,隊正,主帳が通常任命され,少数規模の兵士引率に際しては校尉(二百長),旅帥(百長),隊正(五十長)が責任者ともなった。このような軍団職員の用語,構成,職務については唐軍制をほぼ模したものだが,軍毅の用語のみは日本固有のものである。国司指揮下にあって郡司,軍毅がそれぞれ地方勢力から選抜任命されたわけだが,軍毅の地位は低かった。そして任命されたものも無位または初位クラスが多く,軍事の実際の権限が国司,中央政府に集中し地方勢力が軍事に関与しうる余地が厳しく阻止されていたと思われる。軍庫管理,兵士訓練の権限は国司にあり,軍毅には軍事指揮権はなかったのである。
執筆者:野田 嶺志
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
…モデルとした唐の折衝府(せつしようふ)は兵士訓練,中央衛府への兵士供給を主務としたのに対して,日本の軍団制は,軍事指揮権,兵士訓練権をもたない兵士徴発機構としての性格がつよく,また中央衛府(えふ)とのみ結びつくものでなく国内要地の守備兵,防人(さきもり),衛士(えじ),征軍兵士を供給した。軍団は兵士徴発・動員規模により,最大1000人規模,最大500人規模という2種類の編成式をもち,また引率兵士の多少に対応して軍毅(ぐんき)(大毅,少毅,毅),校尉(200人引率),旅師(100人引率),隊正(50人引率)の職員と主帳が配置されていた。軍毅は国内の有位者,勲位者などから選抜され外武官として官人の待遇をうけたが,校尉以下は兵士のうちから選抜され,校尉以下が国外への兵士引率の任に起用された率は少ない。…
…長上には,中央諸官庁や大宰府・諸国司などの四等官(しとうかん),また刑部省の大・中・少判事などのように,四等官に準ずる位置づけをもつ品官(ほんかん),および特殊な才能などによって,関係官庁に長上勤務を命ぜられた別勅・伎術長上があった。また地方の郡司四等官や軍団の下級指揮者である大・少毅(き)(軍毅)も長上であったが,ともに外長上(げちようじよう)とよばれ,この外長上と対比するとき,前者のグループは内長上とよばれた。【野村 忠夫】。…
※「軍毅」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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