軟式庭球ともいい,国際的にはソフトテニスの名称で統一されている。1870年代にイギリスで発表されたローンテニスを母体に,日本で考案された球技。
明治初期日本に紹介されたテニス競技は,当時国内で生産の難しい硬式ボールを使うもので,舶来の高価なボールに代えて,入手しやすいゴム製ボールを用い,日本独特のスポーツとして定着した。1890年に三田土ゴム会社が赤Mボールを生産し始めたのに伴い,東京の大学で流行した。教師として赴任した東京高等師範学校の卒業生によって全国に普及し,1900年ころには東大対京大など東西大学間の対抗戦が非常な人気を集めた。13年に慶応大学が国際的に通用する硬式に転向,20年代初めに東西の有力大学がこれに追随し,一時的に軟式の衰退期が訪れた。しかし,競技の簡易なことから社会人クラブ,女子を基盤に発展し,22年に東京軟球協会が創設され,軟式テニス界の全国的統合への機運が高まった。2年後,日本軟球協会が生まれたが,ルールの解釈をめぐる対立から,別個に全日本軟式庭球連盟が組織されるなどの混乱もあった。28年両者は統合され,39年には日本軟式庭球連盟として日本体育協会に加盟,現在に至っている。第2次大戦後は手軽で庶民的なスポーツの代表として人気を呼び,競技人口は100万人を突破,愛好者は300万人を超えるといわれる。海外へも進出し,56年に第1回アジア選手権大会を開き,75年にはハワイで第1回世界選手権大会を開催している。アジア,太平洋地域にとどまらず,現在では北アメリカ,南アメリカ,ヨーロッパ,アフリカなどにも普及している。
1対1のシングルスと2対2のダブルスがある。サーバーはコートより外側,センターマークとサイドラインの仮想延長線の間からネットより向こう側,相手コートの対角線上のサービスエリアへバウンドするようにボールを打つ。レシーバーはボールが2回バウンドする前に,相手コートへ打ち返す。サービスとレシーブは1ゲーム終わるごとに相手方と交互に行い,奇数ゲームが終わるごとにサイドチェンジする。ダブルスの場合,2ポイントごとにペア内でサーバーを交代する。ゲームは4ポイント先取で決まり,硬式のように0(ラブ),15(フィフティーン)とコールせず,1(ワン),2(ツー)とカウントする。ポイントが3対3になるとデュースとなり,そのゲームを得るには相手に2点差をつける必要がある。総ゲーム数の過半数(7ゲームマッチなら4ゲーム,9ゲームマッチなら5ゲーム)を先取すると勝ちとなる。3対3,4対4の場合には,7ポイント先取のファイナルゲームを行う。この場合,サービスは2ポイントごとに交代,サイドチェンジは最初2ポイント,以後は4ポイントごとに行う。コートの規格は硬式とまったく同じである。ボールは中に空気の入った白色ゴム製で,直径6.6cm,重さ30~31g。ラケットに制限はないが,普通フレームと柄は木製(竹またはスチールもある)で,重さ285g前後,縦の長さ69cm前後が標準とされている。
→テニス
執筆者:石川 聡
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
ローンテニスを母体として生まれたもので、競技方法などはテニスと似ているが、軟らかいゴムボール(軟球)を使用する点に特徴がある。1992年(平成4)ソフトテニスと名称を変更した。
[(財)日本ソフトテニス連盟]
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…創始期には庭球,その後は軟式庭球,軟式テニスなどの名称で呼ばれたが,1992年からソフトテニスに統一されている。1870年代にイギリスで創案されたローンテニス(テニス)を母体にして日本で考案された球技である。…
※「軟式テニス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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