ソフトテニス(読み)そふとてにす(英語表記)soft tennis

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ソフトテニス」の意味・わかりやすい解説

ソフトテニス
そふとてにす
soft tennis

ローンテニスを母体として日本で生まれた球技で、競技方法はテニスと似ているが、軟らかいゴムボール軟球)を使用する。ソフトテニスは1884年(明治17)以来 120年余りの歴史をもち、54万人を超える競技人口と、700万人と推定される愛好者をもつ大衆的競技スポーツである。一方、国際普及への努力が奏功し、国際ソフトテニス連盟、アジアソフトテニス連盟などの組織が結成され、世界の多くの国々(地域)がこれらに加盟し、その数も40か国に及んでいる。1990年(平成2)の北京(ペキン)アジア競技大会で公開競技に採択され、1994年10月の広島アジア競技大会には正式種目として採用された。このように競技の国際化時代にあわせて、長い間多くの人たちに親しまれてきた「軟式庭球」または「軟式テニス」という名称から、1992年「ソフトテニス」という名称になった。

 明治初期に外国から伝来したローンテニスはボールが輸入品なので入手しにくく、国内で製造するのは技術的にとても無理であったし、また高価なので経済的にも問題があった。その代用品として比較的入手しやすかった、女の子の手まり用の軟らかいゴムボールを使用してみたら、十分にまにあうというので、ゴムボールを使用してテニスが行われ始め、これがソフトテニスの発祥となった。当初のボールはドイツ製で青馬印のマークがついていたといわれている。最初に行われた場所は体操伝習所、後の東京高等師範学校で、それ以来「ローンテニス」という呼称のままでゴムボールのテニスはしだいに普及していった。明治30年ころには、このゴムボールのテニスのことを日本語で「庭球」と呼称するようになった。テニスコートのことを「毬庭(きゅうてい)」といったことにちなんで、それを逆にしたらテニスにぴったりではないかということでこの用語が生まれたといわれる。東京高等師範学校お茶の水にあり、その近くの神田一ツ橋にあった東京高等商業学校の学生たちもこのスポーツを愛好し、ついに1898年両校の対抗試合が行われた。これがきっかけとなり、東京の官・私立専門学校で行われるスポーツになった。一方、高等師範学校の卒業生は地方へ赴任していったので各府県の中学校にもソフトテニスは急速に普及した。明治時代大いに流行し、三大スポーツ(野球、庭球、ボートレース)の一つといわれた。1903年(明治36)、この両校に早稲田(わせだ)、慶応が加わり4校のリーグ戦の対抗試合が行われ、この際に日本で最初の競技規則がつくられた。「試合はダブルスとしチームは7組で編成する。5ゲーム中3ゲーム先取したら勝ちとなり、相手の2組に勝った勝者はまず優退し、第3組目は新しい組同士が対戦する。さらに優退組同士も対戦し、相手に優退組がなくなったとき、試合に勝ったことになる。サービスをするときの位置、サービスする組の決定の仕方、区画線外のボール(アウト)の処理」など試合を重ねていくうちに審判の判定方法などについていろいろな改正が行われて、1908年の大会で採用されたルールが、その後長い間ソフトテニス競技の規則になっている。

 大正期に入り、一部の大学が硬球に転向して衰退しかけた時期もあったが、時を一にして日本に女子のスポーツが台頭してきたので女子のスポーツの中心種目として存在した。昭和初期、明治神宮大会へ参加の際にルールについて対立が生じ、連盟が「日本軟球協会」「全日本軟式庭球連盟」とに二分され、この競技も「庭球」「軟球」「軟式テニス」などとよばれたりしたが、大日本体育協会(のちの日本体育協会。現、日本スポーツ協会)に加盟した1939年(昭和14)を機に、硬式との混同を避けるために「軟式庭球」という正式名称で承認された。当時はだんだんと戦争が激しくなってきていたので、体協に加盟していないとボールをつくるゴムの配給が受けられないという時代であった。しだいに全国的な大会も開くことができなくなり、プレーヤーの出征などで他のスポーツと同様に軟式庭球も停滞していった。

 第二次世界大戦後のソフトテニス競技は指導員制度の導入などに拍車がかけられ、ふたたび発展していった。さらに近年、魅力あるソフトテニスづくりを目指して、「競技の合理性の向上」「競技力の向上」「国際性の向上」などを基本方針とする普及振興策が図られ、小学生から高齢者まですべての年齢層に対する全国大会の実施、国際大会の拡充、プレーヤーの平等性を重視した競技規則の改定、一貫性のある全国レベルの選手育成プログラムの実施などにより日本における最も大衆的なスポーツとして定着し、老若男女を問わず多くの人々に愛好されている。

[(財)日本ソフトテニス連盟]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ソフトテニス」の意味・わかりやすい解説

ソフトテニス

ゴム製のボールを使って行なうテニス。軟式テニス,軟式庭球ともいう。コートの中央に張られたネットを挟んで相対する競技者が,ラケットでボールを打ち合う。日本にテニスが紹介された 1878年以降,テニス用具は高価な輸入品であっため一般には普及しなかったが,1890年頃東京高等師範学校がゴム製の軟式ボールを導入し,これを機に日本独自の軟式テニスが誕生した。その後,東京の各大学,専門学校などで盛んに行なわれるようになり,1900年頃には関西方面にも普及,1910年頃には黄金時代を迎えた。第2次世界大戦時,日本の統治下において軟式テニスが普及した大韓民国 (韓国) ,台湾とともに,1955年にアジア軟式庭球連盟を設立,アジア選手権大会が開催された。 1973年国際軟式庭球連盟 ISTFが設立され,1975年に第1回世界選手権大会が開催された。 1992年全面的なルール改定に伴い,日本国内における呼称をソフトテニスに改めた。 1994年アジア競技大会の正式種目となった。試合は,7ゲームあるいは9ゲームで行なわれ,それぞれ4ゲーム,5ゲーム先取したほうが勝ちとなる。競技者のいずれかが正しく返球できなかった場合,あるいはサービスを2本とも失敗した場合などに相手側にポイントが与えられ,4ポイント先取したほうがゲームの勝者となる。ポイントが3対3で並んだ場合,ジュースとなり,2ポイント連続先取したほうが勝つ。また,ゲームが3対3 (7ゲーム) ,4対4 (9ゲーム) で並んだ場合,ファイナルゲームを行ない,7ポイント先取により勝敗を決する。男女の各シングルス,男女の各ダブルス,混合ダブルスがある。

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