軽皇子(読み)カルノミコ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「軽皇子」の意味・わかりやすい解説

軽皇子
かるのおうじ

(1)孝徳(こうとく)天皇(597―654)の名。即位前の643年(皇極天皇2)、蘇我鞍作(そがのくらつくり)(入鹿(いるか))らとともに、山背大兄王(やましろのおおえのおう)とその一族を滅ぼした。阿倍小足媛(あべのおたらしひめ)を妃とし、中臣鎌子(なかとみのかまこ)(藤原鎌足(かまたり))とも親交があった。

(2)文武(もんむ)天皇(683―707)の名。珂瑠皇子とも記した。

門脇禎二]

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世界大百科事典(旧版)内の軽皇子の言及

【孝徳天皇】より

…在位645‐654年。名は軽皇子。皇極女帝の同母弟で,父は舒明天皇の弟の茅渟(ちぬ)王,母は欽明天皇の孫の吉備姫王。…

【文武天皇】より

…689年(持統3)7歳のとき皇太子であった父と死別。祖母の持統天皇の保護のもとで成長し,持統は697年2月,反対者を抑えて軽皇子を皇太子とし,同年8月に譲位,702年(大宝2)に没するまで文武の政治を助ける。文武は即位のとき15歳,藤原不比等の娘宮子を夫人(ぶにん),紀竈門娘(かまどのいらつめ),石川刀子娘を嬪(ひん)とし,宮子は首皇子(聖武天皇)を生む。…

※「軽皇子」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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