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輪西屯田兵村(読み)わにしとんでんへいむら

日本歴史地名大系 「輪西屯田兵村」の解説

輪西屯田兵村
わにしとんでんへいむら

絵鞆えとも半島の基部およびその東側にあった屯田兵村。現在の輪西町および宮の森みやのもり町・中島なかしま町などを中心とした地。屯田兵設置の目的は北海道の防衛警備と開拓の拠点となる村づくりで、募集にあたっては家族の労働力が選考基準となり、原則として家族携帯者とした。明治一八年(一八八五)屯田兵村設置の方針が決まると、参謀本部海防局が内浦湾室蘭港および現登別市の幌別ほろべつ地区を調査した結果、輪西の地に給与地を選定し、翌一九年に中隊本部・付属官舎・兵屋の建設に取掛った。屯田兵応募の資格は一八歳以上三五歳まで、強健で兵農に堪える者、農事に従事する者二人以上、一戸平均四―五人以下などであった。同二〇年第一次として鳥取県五一戸・二四六人、愛媛県四三戸・二一五人、兵庫県一六戸・六七人が室蘭屯田中隊員として現在の日の出ひので町、中隊本部周辺の中島町知利別ちりべつ町に入植

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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