改訂新版 世界大百科事典 「近江絹糸争議」の意味・わかりやすい解説
近江絹糸争議 (おうみけんしそうぎ)
1954年,近江絹糸紡績(現,オーミケンシ。当時,従業員1万3000人)の労働者が〈格子なき牢獄〉といわれた前近代的労務管理・労働条件の改善を求めておこした労働争議。当時,人権争議として世の注目を集めた。同年6月2日,近江絹糸紡績労組(多数の未成年女子紡績工をふくむ)は,組合の承認,宗教行事の強制反対,信書の開封・私物検査の即時停止,結婚・外出の自由,賃金体系の確立など22項目を要求したが,4日に会社が拒否したためストライキに突入,会社側と激しく対立した。争議中は,組合側のピケ隊と会社が雇った労務者との衝突もおこり,また会社への抗議自殺者まで出たが,争議は105日後に組合の全面勝利で終結する。この間,組合は全繊同盟(現,ゼンセン同盟)の組織をかけた争議指導,国内外にわたる広範な労組・政党などの支援,世論の支持に支えられた。この人権争議の勝利は,同じような前近代的労務管理のもとにあった多くの中小未組織労働者を勇気づけることとなり,権利闘争が全国に広がった。
執筆者:平井 陽一
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報