日本大百科全書(ニッポニカ) 「ゼンセン同盟」の意味・わかりやすい解説
ゼンセン同盟
ぜんせんどうめい
繊維産業関係や流通産業などの労働者を組合員としていた全国組織の労働組合。日本労働組合総連合会(連合)加盟組合。1946年(昭和21)7月31日、繊維関係職場の労働者を企業ごとに組織し、それらを単位組合として全国繊維産業労働組合同盟(全繊同盟)が結成され、その後、流通関係の組織化が進んだこともあって、1974年9月の第30回大会でゼンセン同盟と改称した。さらに2002年(平成14)9月、繊維・流通関係産業を組織するゼンセン同盟と、化学・薬品・サービス関係を組織する日本化学・サービス・一般労働組合連合(CSG連合)、地場繊維産業を組織する日本繊維生活産業労働組合連合会(繊維生活労連)の三つの産業別組合が組織統合し、全国繊維化学食品流通サービス一般労働組合同盟(略称・UIゼンセン同盟)を結成した。これによって、UIゼンセン同盟は連合加盟組合のなかでは最大の組合となった。組合員数109万3329人(2011年3月)。
ゼンセン同盟は結成当時、日本労働組合総同盟(総同盟)に加盟していたが、1950年の日本労働組合総評議会(総評)の結成時には、総同盟を脱退して参加した。1953年に総評の左傾化を批判して脱退し、総同盟、全日本海員組合(海員)とともに全日本労働組合会議(全労会議)を結成し、1964年11月の全労会議解散による全日本労働総同盟(同盟)結成にあたって同盟に参加した。1954年の近江絹糸争議(「人権争議」といわれた)、1957年の労働時間短縮闘争、1970年代の賃金闘争などでその実力を世間に印象づけ、日本の労働運動の右派を代表し、労働組合主義・産業民主主義をその理念として運動を展開してきた。しかし1960年代後半には、日本の伝統的産業であった繊維産業は国際競争にさらされたため、繊維資本は経営の多角化を進め、スーパーなど流通部門への進出を図り成果をあげた。それに伴い全繊同盟傘下の組合員も繊維労働者ばかりでなくその他の職種の労働者も増え、組合名も旧称では実態にそぐわぬようになり、ゼンセン同盟に改めた。1993年には全組合員約59万人のうち流通部会は25万人を占めるに至った。1980年代の民間先行の労働戦線統一の流れのなかではつねに指導的役割を果たしてきた。ゼンセン同盟は、企業別組織を単位としながら、1995年に総合繊維、総合化学・繊維、衣料産業、流通・サービス、専門店、フード・サービス、地方産業の7部会体制をとり、各都道府県に支部を設置して加盟組合との活動を親密にできるように組織体制を整えた。これらの部会は、組織対象を特定業種に限定しない一般労働組合の性格をもっている。
2002年9月、前述したように、ゼンセン同盟とCSG連合、繊維生活労連が組織統合してUIゼンセン同盟を結成して以来、組織の名称が示すとおり、一般労働組合としての性格を一層強めた。さらに、正規雇用の労働者だけでなく、非正規雇用の労働者の組織化にも先進的に取り組み、大きな成果をあげている。
国際組織では、国際繊維被服皮革労組同盟(ITGLWF)、国際化学エネルギー鉱山一般労連(ICEM)、ユニオン・ネットワーク・インターナショナル(UNI)、国際食品関連産業労働組合連合会(IUF)、国際建設林産連盟(BWI)に加盟している。
[川崎忠文・早川征一郎]