江戸後期の幕吏、北地探検家。通称は重蔵(じゅうぞう)、号は正斎(せいさい)、昇天道人。明和(めいわ)8年幕府与力(よりき)の子として江戸に生まれる。1798年(寛政10)幕府蝦夷(えぞ)地調査隊に加わり、択捉(えとろふ)島に渡り、「大日本恵登呂府」の標柱を建てる。以後1808年(文化5)松前奉行(まつまえぶぎょう)付出役から書物奉行に転出するまで蝦夷地に関係し、千島方面を探検すること数回、択捉島への渡航路や同島の漁場開設などを指揮し、千島開拓の基礎を築いた。また、西蝦夷地調査にも従事し、現在の札幌の地を蝦夷地警備の拠点とする意見を具申し、1500巻を下らないという書物を著している。長男富蔵(とみぞう)の殺傷事件のため大溝(おおみぞ)藩に預けられ、文政(ぶんせい)12年6月9日没した。
[小林真人]
…27巻,目録1巻。編者は幕臣の近藤守重(重蔵)で,書物奉行(1808‐19)のとき,紅葉山文庫所蔵の外交文書を中心に編纂して,幕府に献上した。初期幕府外交の重要史料。…
…近世後期の北方探検家。名は守重,通称は重蔵,号は正斎。1795‐97年(寛政7‐9),長崎奉行出役として海外知識を深め,蝦夷地警衛の重要性を幕府に建言,98年目付渡辺久蔵らの蝦夷地視察の一行に加わり,翌99年蝦夷地御用掛が設けられると,その配下に属し,数回にわたり蝦夷地・千島方面を探検し,特に高田屋嘉兵衛の協力を得てエトロフ航路を開き,1802年(享和2)エトロフ島でロシアの標柱を廃し,〈大日本恵登呂府〉の木標を立てるなど,ロシアの南下に対する北辺の防備・開拓に尽力した。…
…39年,紅葉山に移し,以後,文庫の増設,蔵書の収集,中国書籍の購入,家宣の桜田文庫本併収,佐伯毛利氏の進献本などにより充実されて明治に至った。書目の改正も1680年(延宝8),1716年(享保1)の林家(りんけ)による目録作成,享和(1801‐04)の新訂書目,1815年(文化12)の近藤守重(重蔵),天保期(1830‐44)の林韑(あきら)(復斎)による重訂御書籍目録,元治期(1864‐65)の改正などが行われた。天保年間の調査で,漢書総数4738部(6万6821冊余),国書総数592部(4509冊余)に及び,金沢文庫・足利学校伝来本,慶長勅版,幕府歴世の記録など貴重書が多い。…
※「近藤守重」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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