近藤長次郎(読み)こんどう・ちょうじろう

朝日日本歴史人物事典 「近藤長次郎」の解説

近藤長次郎

没年:慶応2.1.14(1866.2.28)
生年:天保9(1838)
高知城下饅頭屋を営む商人大黒屋伝次の子。幼より向学心高く,万延1(1860)年,藩士由比猪内の従僕として江戸に上り,儒学安積艮斎に,洋学を手塚玄海に,砲術高島秋帆に学び,文久3(1863)年藩庁より学問精励と器量を評価され苗字帯刀,さらに勝海舟門弟となり神戸海軍操練所にて航海術を修業した。時に坂本竜馬との関係密になり,長崎の亀山社中(のちの海援隊)に投じ,慶応1(1865)年長州(萩)藩のために軍艦・ユニオン号購入を斡旋,長州藩主より報償金を得,同時に英国留学の機会を提供された。社中に諮らずに長崎を出帆しようとしていることが発覚,掟に従い切腹して果てた。<参考文献>吉村淑甫『近藤長次郎』

(福地惇)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「近藤長次郎」の解説

近藤長次郎 こんどう-ちょうじろう

1838-1866 幕末尊攘(そんじょう)運動家。
天保(てんぽう)9年1月6日生まれ。安積艮斎(あさか-ごんさい)に儒学を,高島秋帆(しゅうはん)に砲術を,勝海舟に航海術をまなぶ。坂本竜馬(りょうま)が組織した亀山(かめやま)社中に参加。社中の定めに反し,ひそかにイギリス留学を計画したことが発覚し,慶応2年1月14日切腹した。29歳。土佐(高知県)出身。名は昶(ちょう)。字(あざな)は子長。号は藤陰,梅花道人。別名に上杉宗次郎。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「近藤長次郎」の解説

近藤長次郎 (こんどうちょうじろう)

生年月日:1838年1月6日
江戸時代末期の商人大黒屋伝次の子;勝海舟の門弟
1866年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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