逆川(読み)さかさがわ

日本歴史地名大系 「逆川」の解説

逆川
ぎやくがわ

名神高速道路羽島パーキングエリア(下り)付近より羽島市中央部を北北西に向かって流下し、小熊(おぐま)町島(しま)で足近(あぢか)町と正木(まさき)町境を流れる及(および)川と合流、福寿(ふくじゆ)町間島(まじま)で長良川に注ぐ。全長約七キロ。もとは木曾川から流れ出ていたが、現在は木曾川口は締切られている。名称は当地方の河川が基本的に南流しているのに対し、当川のみが北流することにより、江戸時代にはさかさま川とよばれた(延享三年不破一色村明細帳など)。


逆川
さかさがわ

現五霞村東縁、権現堂(ごんげんどう)川・江戸川の合流点と赤堀(あかぼり)川(現在の利根川)をほぼ南北に結んでいた川。寛永一八年(一六四一)に権現堂川の開削・拡張があり、逆川も細溝であったものが寛文五年(一六六五)に拡張され、常陸川(現在の利根川下流)から江戸川への舟運路となった。「下総旧事考」には「係関宿藩城隍、寛文五年、板倉氏城主時、鑿常陸川江戸川間、為城湟亦以便公之漕運云」とあり、下総関宿藩主板倉重常が関宿城の堀を兼ねて改修したものと考えられる。また「利根川図志」には「平時は南して江戸川に落つ洪水の時は関宿の杭出に支へられ、河流逆行して中利根川に落つ、故に逆川の名あり」とみえている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の逆川の言及

【利根川】より

…その最初は1621年(元和7)で,〈新川通り〉および〈赤堀川〉を開削して利根川を渡良瀬川に合流させ,常陸川筋へ落とそうとしたが,赤堀川の通水には失敗した。35年(寛永12)には現江戸川上流の開削に着手し,利根川,渡良瀬川の合流を現埼玉県幸手(さつて)市権現堂の北で東方に曲げてこの流頭に結び(権現堂川),その結節点から北に〈逆(さかさ)川〉を掘って下総国関宿の北で常陸川の上流と結んだ。この完成が41年という。…

※「逆川」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

アジア諸国の友好と平和促進とを目的としたスポーツ大会。第1回は1951年にインドで開催。原則としてオリンピックの中間年に行われる。主催はアジア‐オリンピック評議会。→アジア冬季競技大会...

アジア競技大会の用語解説を読む