日本歴史地名大系 「進美寺」の解説
進美寺
しんめいじ
〔開創〕
開創時期や経緯が知られる史料はないが、鎌倉時代には行基の建立、聖観音の霊地という縁起が語られるようになっており(建久八年一〇月四日「五輪宝塔三百基造立供養願文」進美寺文書、以下断りのない限り同文書)、弘安九年(一二八六)七月一六日付の官宣旨には「勤修顕密不退之恵業、奉祈国家静謐之御願、匪啻為国中無双之霊場、殆可謂山陰第一之名区、其旨顕于仁平之 庁裁、被載建保之 綸旨」と記されている。仁平(一一五一―五四)の庁裁、建保(一二一三―一九)の綸旨とも伝わらないが、元亨元年(一三二一)三月日付の進美寺住僧等解文(紛失状)によると、仁平元年八月一七日院庁下文によって御願寺となり、建保三年九月には同じく院庁下文で御祈願所として長日の御祈祷を勤行するよう命じられたという。また文治元年(一一八五)の
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報