日本歴史地名大系 「道村」の解説 道村どうむら 和歌山県:有田市道村[現在地名]有田市宮原(みやはら)町道畑(はた)村の南に位置し熊野街道が通る。地名は街道の通ることによるという(続風土記)。集落は南向きの山麓に広がり、本村のほか西に西谷(にしたに)、北に伏原(ふせばら)の集落がある。慶長検地高目録によれば村高三一二石余。家数七四、人数三九三(続風土記)。宮原組に所属。元禄一一年(一六九八)の有田郡蜜柑組仲間二三組のなかに「道村甚右衛門」、正徳四年(一七一四)の同組仲間二六組荷親中に「道組一組」とある(紀州蜜柑根元記)。宮原伝馬所が設けられ、引高一〇五石が付せられていた(有田郡誌)。「続風土記」は村内の社寺として産土神八幡宮・山口(やまぐち)王子社のほか小祠二(気鎮森・里神社)、善国(ぜんこく)寺(浄土宗)を記す。 道村みちむら 山梨県:西八代郡下部町道村[現在地名]下部町道切房木(きりふさぎ)村の東、西八代台地南端部の山間地と車田(くるまだ)川の沖積地および河岸段丘に立地する。村名は古くは堂と記し、行基開創の仏堂(慈観寺)があったことによるとか、八ヵ所に橋を架けた道が通っていたからといい、「ダウ」と訓じられた(甲斐国志)。慶長古高帳に小里村とみえ(誤記か)、高四五石余。ほかに慈観(じかん)寺領五石余。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報