達者村(読み)たつしやむら

日本歴史地名大系 「達者村」の解説

達者村
たつしやむら

[現在地名]相川町達者

南は小川おがわ村、北は姫津ひめづ村、集落は海辺にある。段丘上に、八反余の広さをもつたばせかきうち地名が残り、付近から須恵器出土海岸は大湾入港の地形をなし、渚辺は広大な砂浜をつくる。この浜に釜所かまんじよの地名が残るところから、古代の製塩の釜跡とみる説が多く、製塩土器も出土する。口碑に、本間源左衛門が、長禄二年(一四五八)大野おおの(現新穂村)から移って村を開き、氏神の白山神社を勧請したという。白山神社は、「佐渡国寺社境内案内帳」によると天正一八年(一五九〇)の勧請と伝え、社人は源左衛門とあって、口碑とほぼ符合する。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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