ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「達頭可汗」の意味・わかりやすい解説 達頭可汗たっとうかがんDa-tou Ke-han; Tat`ou K`o-han 突厥帝国西部にいた小カガン (在位 576~603?) 。東ローマ史料はタルドゥ Tardouと伝えている。名をてん厥といい,伊利可汗の弟イステミ・カガンの次子である。名目的には小カガンであったが,その実力は沙鉢羅 (→阿史那賀魯 ) をしのぎ,独立した勢力をもっていた。 583年同じ小カガンの阿波 (あは) が沙鉢羅と反目し達頭のもとに走ったが,これによって突厥は決定的に東西に分裂することになった。しかし 584年今度は達頭と阿波が衝突し,達頭は追われて隋にくだった。 599年大カガンの都藍可汗が部下に殺されると独立して歩迦可汗と号し,東西両突厥の中間に拠り,しばしば隋の北辺を侵したが,603年敗れて吐谷渾 (とよくこん) に逃れた。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報 Sponserd by