日本歴史地名大系 「遠光寺村」の解説 遠光寺村おんこうじむら 山梨県:甲府市旧山梨郡地区遠光寺村[現在地名]甲府市伊勢(いせ)一―四丁目・相生(あいおい)三丁目・太田町(おおたまち)・湯田(ゆだ)一―二丁目・南口町(みなみぐちちよう)・幸町(さいわいちよう)・住吉(すみよし)一―二丁目・青葉町(あおばちよう)・朝気(あさけ)三丁目甲府城下の南にある。村名の由来となった遠光寺は、水害を避け天文年中(一五三二―五五)蓬沢(よもぎさわ)村から当地へ移転してきた(寺記)。北は光沢寺地内(こうたくじじない)町に家続きになり、西を荒(あら)川が南流する。東寄りを城下から南下する中道(なかみち)往還に沿って南北に家居と四つの寺が並んだ。耕地は東の一蓮寺地内(いちれんじじない)町・湯田を越えてあり、蓬沢村に接した。遠光寺移転前、一帯は大畑(大幡)と称し、かつては当村分に青沼(あおぬま)郷のうち坂田と称する地もあったというが、移転によって新たに民戸も建てられて地子免許となり、また文禄年間(一五九二―九六)の城下建設に伴いかつての村域も変化したという(甲斐国志)。天正一〇年(一五八二)八月一九日の徳川家康印判状写(甲陽随筆)に住吉大明神に安堵されたとみえる「大幡」のうち七〇貫文、同一一年四月一九日の徳川家康判物写(寺記)で一蓮寺領として安堵とみえる「大畑分」のうち一二貫文は当地のことか。慶長古高帳に村名がみえ、高一千三九八石余、ほかに一蓮寺領一八〇石・長円(ちようえん)寺(現光沢寺)領二〇石・大明神領(千松院支配)二石余。一一冊のうち一〇冊が残る慶長一六年(一六一一)の再検地帳(県立図書館蔵)によれば田五八町六反余・畑一八町八反余・屋敷七町余、永荒地一六町九反余。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by