一蓮寺(読み)いちれんじ

日本歴史地名大系 「一蓮寺」の解説

一蓮寺
いちれんじ

[現在地名]甲府市太田町

甲府市街地南部、遊亀ゆうき公園の北にある。時宗系の単立寺院で、稲久山福応院と号し、一条いちじよう道場とも称される。本尊は阿弥陀如来。もとは甲府城跡のある一条小いちじようこ山の地にあったが、近世初頭の甲府城築城に伴い、城下町南端の現在地に移された。甲斐武田一族の一条時信を開基とする。時信は永仁三年(一二九五)頃甲斐を遊行した時宗二世他阿真教に帰依し、弟宗信(法阿弥陀仏朔日)をその弟子とした。正和元年(一三一二)朔日は諸国を廻国して甲斐に帰った。時信は一条氏の始祖忠頼が鎌倉で源頼朝により謀殺された後、菩提を弔うため夫人が一条小山の館跡に建立した尼寺を改め、一蓮寺を創建して朔日を開山とした(甲斐国志・一蓮寺概史)。開基は元亨元年(一三二一)一月二七日に没して一蓮寺殿仏阿利安元貞大居士と諡され、開山は貞和五年(一三四九)一二月六日に没したとされる(「一蓮寺過去帳」など)。開山の法名法阿は歴代の当寺住職に与えられる法名となった。

貞治三年(一三六四)二月一五日の寺領目録(一蓮寺文書)に載る田一七町七段・屋敷二ヵ所のうち、甲斐守護武田信武が一条郷蓬沢よもぎさわの内で一町七段、その子信成が同郷内で計三町三段を寄進しているほか、一条氏・小笠原氏・河内氏・逸見氏・加々美氏などの武田一族による寄進地がほとんどを占める。これは当寺が同一族の庇護のもとに発展したことをうかがわせるもので、八世までの住職は武田一族出自であったとされる。ただし五世は南朝後村上天皇の子尊観法親王で、法阿は副住を務めている(一蓮寺過去帳)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

百科事典マイペディア 「一蓮寺」の意味・わかりやすい解説

一蓮寺【いちれんじ】

山梨県甲府(こうふ)市にある時宗系の単立寺院。一条道場(いちじょうどうじょう)の名で1312年建立,開山は法阿弥,開基は一条時信(ときのぶ),中世武田氏一族の保護を受けて栄えた。近世・近代では時宗の指導者遊行上人(ゆぎょうしょうにん)の候補者が住職となる重要寺院であった。

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