都一中(5代)(読み)みやこ・いっちゅう

朝日日本歴史人物事典 「都一中(5代)」の解説

都一中(5代)

没年:文政5.7.5(1822.8.21)
生年:宝暦10(1760)
江戸中・後期の一中節都派の家元。前名吾妻路宮古太夫。天明(1781~89)ごろ江戸へ下って吉原男芸者をしていた。寛政4(1792)年春,江戸中村座で「傾城浅間岳」を語ったが,あまり評判はよくなかった。その後,劇場出演をやめ河東節の三味線方3代目山彦新次郎(のちに一中節に転じて初代菅野序遊)と組んで数多くの新曲を発表した。これにより上方生まれの一中節に江戸浄瑠璃の感覚がとり入れられ,江戸風の一中節が定着していくことになった。

(吉野雪子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android