デジタル大辞泉
「都一中」の意味・読み・例文・類語
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都 一中(11代目)
ミヤコ イッチュウ
- 職業
- 一中節三味線方
- 肩書
- 一中節都派家元(11代目),都会主宰 重要無形文化財保持者(一中節・三味線)〔昭和59年〕
- 本名
- 小林 清子(コバヤシ キヨコ)
- 別名
- 前名=都 千卜(ミヤコ センボク),別名=都太夫 一中(11代目)(ミヤコダユウ イッチュウ)
- 生年月日
- 明治39年 9月4日
- 出生地
- 東京市 銀座(東京都 中央区)
- 学歴
- 千代田高女〔大正12年〕卒
- 経歴
- 父は10代目都一中、母は都一梅。6歳より長唄、河東節、宮園節、荻江節、地歌と幅広く古曲を学び、19歳から一中節を学ぶ。初代都一花、2代目都一広らについて一中節の古風な芸風を習得。昭和10年都千卜を襲名。23年11代目家元、都一中を襲名。37年古典会理事、57年理事長に就任。格調高い演奏技術や優れた作曲で知られる。作品に「雪まろげ」「水の上」など。59年人間国宝に認定される。新橋の料亭・喜ん楽の経営にもあたった。
- 所属団体
- 古曲会(理事長)
- 受賞
- 芸術選奨文部大臣賞〔昭和48年〕 芸術祭賞奨励賞〔昭和38年〕,芸術祭大賞(レコード部門)〔昭和57年〕「一中節古典名典選」(LP),モービル音楽賞(第13回)〔昭和58年〕
- 没年月日
- 平成3年 7月8日 (1991年)
- 家族
- 父=都 一中(10代目),母=都 一梅(一中節奏者)
都 一中(10代目)
ミヤコ イッチュウ
- 職業
- 一中節太夫
- 肩書
- 一中節都派家元(10代目)
- 本名
- 伊東 楳太郎
- 別名
- 別称=都太夫一中(ミヤコダユウイッチュウ)
- 生年月日
- 慶応4年 1月8日
- 出生地
- 江戸・浅草花川戸(東京都)
- 経歴
- 幼少から音曲を好み、明治14年10代目一中節家元を相続。19年1月江東中村樓で「三番叟」を語り襲名披露。22年日本演芸矯風会技芸員、40年東京音楽学校邦楽調査掛嘱託となり、楽譜の起稿に尽力した。のち薗八節家元も兼ねたが、大正6年7月以来病を得た。
- 没年月日
- 昭和3年 2月6日 (1928年)
- 家族
- 娘=都 一中(11代目)
出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報
都一中(初代)
没年:享保9.5.14(1724.7.4)
生年:慶安3(1650)
江戸中期の一中節の創始者。初代都太夫一中とも。京都の浄土真宗本願寺派明福寺の3代住職周意の次男。本名は恵俊。はじめ住職となるが,生来音曲を好んだため,寛文10(1670)年に還俗したという。京都の都万太夫座の座元都越後掾(万太夫)の弟子となり,須賀千朴といったが,のちに都太夫一中と名乗り,一中節を創始した。井上播磨掾の孫弟子で,初代岡本文弥の泣き節の系統もひいているといわれ,叙情的な語りを得意とした。はじめは主に座敷浄瑠璃として語っていたが,宝永3(1706)年11月大坂の片岡仁左衛門座で「京助六心中」を語ったのが劇場出演の最初の記録。門弟には実子の若太夫(2代目都一中)をはじめ,都国太夫半中(のち宮古路豊後掾),都秀太夫千中,都金太夫三中など優れたものが多かった。正徳5(1715)年と享保3(1718)年に江戸へ下り,市村座に出演し江戸歌舞伎のなかに上方の浄瑠璃をとり入れる先駆となった。なお没年には享保8年5月,同11年説もある。<参考文献>諏訪春雄「初代都一中の研究―その1」(『学習院女子短期大学紀要』1969年)
都一中(5代)
没年:文政5.7.5(1822.8.21)
生年:宝暦10(1760)
江戸中・後期の一中節都派の家元。前名吾妻路宮古太夫。天明(1781~89)ごろ江戸へ下って吉原で男芸者をしていた。寛政4(1792)年春,江戸中村座で「傾城浅間岳」を語ったが,あまり評判はよくなかった。その後,劇場出演をやめ河東節の三味線方3代目山彦新次郎(のちに一中節に転じて初代菅野序遊)と組んで数多くの新曲を発表した。これにより上方生まれの一中節に江戸浄瑠璃の感覚がとり入れられ,江戸風の一中節が定着していくことになった。
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
都 一中(10代目)
ミヤコ イッチュウ
明治〜昭和期の一中節演奏家 都派10代目家元。
- 生年
- 慶応4年1月8日(1868年)
- 没年
- 昭和3(1928)年2月6日
- 出生地
- 東京・浅草花川戸
- 本名
- 伊東 楳太郎
- 別名
- 別称=都太夫 一中(ミヤコダユウ イッチュウ)
- 経歴
- 幼少から音曲を好み、明治14年10代目一中家元を相続。19年1月江東中村樓で「三番叟」を語り襲名披露。22年日本演芸矯風会技芸員、40年東京音楽学校邦楽調査掛嘱託となり、楽譜の起稿に尽力した。のち薗八節家元も兼ねたが、大正6年7月以来病を得た。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
都一中 みやこ-いっちゅう
1952- 昭和後期-平成時代の邦楽家,江戸常磐津一中節家元。
昭和27年12月23日生まれ。常磐津子之助の子。三味線方。父の指導を受け,昭和50年11代都一中(11代都太夫一中)に入門。56年常磐津文字蔵を襲名。平成3年12代都一中を襲名。27年古曲一中節の伝承保存,優れた演奏,海外における紹介普及等の業績に対し芸術院賞。古曲会理事。東京都出身。東京芸大卒。本名は藤堂誠一郎。
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世界大百科事典(旧版)内の都一中の言及
【都太夫一中】より
…一中節の家元名。都一中とも。現11世まであるが,初世と5世が有名。…
※「都一中」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」