吉井勇(いさむ)の第一歌集。1910年(明治43)昴(すばる)発行所刊。装丁高村光太郎(こうたろう)、カット藤島武二、口絵木下杢太郎(もくたろう)で、収載歌数は719首。勇は1905年新詩社に入社し、雑誌『明星』に短歌作品を発表した。この歌集は、新詩社を退社(1907)し、雑誌『スバル』創刊号(1909)発表までの作品を収載。歌風は耽美頽唐(たんびたいとう)の傾向が強く、酒と情癡(じょうち)の世界を流麗な調子で歌い上げ、一抹(いちまつ)の哀感を漂わせる。「かにかくに祇園(ぎをん)はこひし寝(ぬ)るときも枕(まくら)の下を水のながるる」。本歌集で文壇的地歩を固めた。
[水城春房]
『『現代日本文学大系25 吉井勇他集』(1971・筑摩書房)』▽『『吉井勇全集1』(1977・番町書房)』
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…明治になって祇園は甲部と乙部に分かれ,膳所裏(せぜうら)と呼ぶ一区域を除いた祇園甲部は,日本で最も格式の高い花街とされ,その温習会である〈都をどり〉は陽春の京都の景物となっている。舞妓という呼称も祇園だけのものと錯覚されるほどであるが,そうした憧憬のごとき感覚の形成にとって,吉井勇の歌集《酒ほがひ》や長田幹彦の小説《祇園夜話》や歌謡曲《祇園小唄》の果たした役割も忘れることができない。祇園信仰【編集部】。…
…1909年《スバル》創刊後は同人として活躍,戯曲にも手を染めた。第1歌集《酒(さか)ほがひ》(1910)は,青春の情熱を奔放に歌いあげて高い世評を得,戯曲集《午後三時》(1911)とあいまって耽美派の作風を展開した。以降紅灯の巷の情趣を享楽的に歌った《祇園歌集》(1915),市井の寄席芸人の哀歓を写した戯曲集《俳諧亭句楽》(1916)など,吉井勇調というべき独自の作品集を刊行し続けた。…
※「酒ほがひ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
米テスラと低価格EVでシェアを広げる中国大手、比亜迪(BYD)が激しいトップ争いを繰り広げている。英調査会社グローバルデータによると、2023年の世界販売台数は約978万7千台。ガソリン車などを含む...
11/21 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新
10/1 共同通信ニュース用語解説を追加