野宮定基(読み)ののみやさだもと

改訂新版 世界大百科事典 「野宮定基」の意味・わかりやすい解説

野宮定基 (ののみやさだもと)
生没年:1669-1711(寛文9-正徳1)

江戸中期の有職家。内大臣中院通茂の次男。母は野宮定逸の女。初名は親茂。1675年(延宝3)叙爵。77年叔父定縁の嗣となり野宮家を相続し定基と改名。累進して88年(元禄1)左中将,1704年(宝永1)参議,09年正三位となり,11年6月29日病気危急に及び権中納言に進み,同日没した。松堂と号し有職の学に詳しく,新井白石との問答を筆記した《本朝故実記》《車服問答》《新野問答》があり,《装束温故抄》《平家物語考証》《群記類鑑》などの著がある。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「野宮定基」の解説

野宮定基 ののみや-さだもと

1669-1711 江戸時代前期-中期の公卿(くぎょう),有職(ゆうそく)家。
寛文9年7月14日生まれ。中院通茂の次男。野宮定縁の養子高橋宗恒(むねつね)にまなぶ。元禄(げんろく)7年,応仁(おうにん)以来断絶していた賀茂祭再興尽力。宝永元年参議,7年正三位。正徳(しょうとく)元年権(ごんの)中納言。同年6月29日死去。43歳。初名は親茂。号は松堂。編著に「群記類鑑」「新野問答」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「野宮定基」の解説

野宮定基 (ののみやさだもと)

生年月日:1669年7月14日
江戸時代中期の公家
1711年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

《「晋書」杜預伝から》竹が最初の一節を割るとあとは一気に割れるように、勢いが激しくてとどめがたいこと。「破竹の勢いで連戦連勝する」[類語]強い・強力・強大・無敵・最強・力強い・勝負強い・屈強・強豪・強...

破竹の勢いの用語解説を読む