20世紀日本人名事典 「野村隈畔」の解説 野村 隈畔ノムラ ワイハン 明治・大正期の評論家,思想家 生年明治17(1884)年8月5日 没年大正10(1921)年11月5日(遺体発見) 出生地福島県伊達郡半田村 本名野村 善兵衛 学歴〔年〕小学卒 経歴農業に従事していたが、哲学研究を志し、明治41年上京。統一教会に通い、45年より「六合雑誌」に論文を発表し、大正3年「ベルグソンと現代思潮」を刊行。その後恋愛哲学を講じ「永却無限の世界」に殉じるため千葉海岸で情死した。著書は他に「自我の研究」「文化主義の研究」など。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「野村隈畔」の解説 野村隈畔 のむら-わいはん 1884-1921 明治-大正時代の哲学者,評論家。明治17年8月5日生まれ。41年岸本能武太(のぶた)をたよって上京,絶対自由主義をとなえて「六合(りくごう)雑誌」「第三帝国」に論文を発表。大正10年「永劫(えいごう)の彼岸(ひがん)へ」の遺作をのこし,その恋愛哲学論に共鳴した女性と心中した。11月5日遺体発見。38歳。福島県出身。本名は善兵衛。著作に「ベルグソンと現代思潮」「自我の研究」など。【格言など】永劫無限の世界に旅立つ。これ哲人の希望であり歓喜である(死の直前の日記) 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by
367日誕生日大事典 「野村隈畔」の解説 野村 隈畔 (のむら わいはん) 生年月日:1884年8月5日明治時代;大正時代の評論家;思想家1921年没 出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報 Sponserd by