1929年に世界大恐慌がおきるや,31年のイギリスに始まり,同年日本,33年アメリカと各国が金本位制度を停止した。こうした状況下,33年6月にロンドンで開催された国際通貨経済会議において,為替協定をめぐり,アメリカとフランスが対立し,フランスは会議終了後,イタリア,ベルギー,オランダ,スイス,ポーランドとともに,金本位制維持のための協定を結んだ。この6ヵ国間の団結を金ブロックという。その後,貿易収支の悪化から35年のベルギーをはじめとしてつぎつぎに金本位制を停止し,37年フランスの金本位制停止を最後として,金ブロックは崩壊した。その後第2次大戦に突入し,戦後IMF体制の創設に至るわけである。
→金本位制度
執筆者:鈴木 秀雄
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
…このような環境のなかで,世界の主要国は自国を中心とするいくつかの国々と経済領域,通貨圏をつくり,その中で互いに輸出を拡大し自国の産業に必要な資材の輸入を確保しようとした。経済ブロックには,イギリスを中心とするオタワ協定Ottawa Agreements(1932)に基づく特恵貿易地域,アメリカとラテン・アメリカを結ぶもの,ドイツと南東ヨーロッパ諸国による広域経済圏Grossraumwirtschaft,フランスを中心とする金本位制を維持した国々による金ブロックなどがある。日本の大東亜共栄圏構想(大東亜共栄圏)は,満州,台湾,朝鮮から成るミニ・ブロックを本格的なものに拡大しようとしたものである。…
※「金ブロック」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」