金丸名・犬丸名
かねまるみよう・いぬまるみよう
香取社大禰宜の大中臣家領の名。永仁元年(一二九三)九月二〇日の大禰宜実政譲状(香取文書、以下同文書)に「かんとりのこをりかねまろ・いぬまろりやうミやう」とみえる。大畠村(文応二年五月一〇日大畠村麦検注取帳)、加符村(正応四年一一月日香取社領加符検田取帳写)、佐原・新部・苅馬鍬山・大相根・返田(応永六年五月日香取神領検田取帳)、津宮・宮本(応永六年五月日香取新畠検注取帳)、丁子(応永六年五月日香取神領検田取帳)など、現佐原市を中心として神崎町域や小見川町域にまで散在したと思われる。
応保二年(一一六二)六月三日の大禰宜実房譲状に「金丸・犬丸二名」「村々名畠坪付 金丸犬丸」とみえ、大中臣実房は大禰宜職とともに嫡子前神主惟房に両名の田畠などを譲っている。田方は一条から八条までの条里を踏まえた坪付記載で、片野里・吉原里・
山(鍬山)里・新家里・小野里・葛原里などのち香取社領の村となるものと類似の表記をもつもののほか、大貫里(現神崎町か)・上座里・松原里・川廻里・大桑里・山前里・努岐里・岡本里・浜里・村山里・牧田里、編玉里・野田里・山川里(現小見川町か)、許夫里・小総里・蒲田里・夫雑里・神
里・船下里・大屋里・賀是里・楊里・恵津里・君負里・気里・葛倉里・若栗里・清水里などが記載されている。畠方は香取村・大畠村・二俣村・新家村・田太村(多田村)・吉原村などに散在していた。仁安二年(一一六七)実房(真房)は老耄を理由に親父真平から譲り受けた金丸・犬丸両名(三四余町)などを再び惟房に譲っている(同年二月一一日大禰宜真房譲状)。
葛原牧内の織幡・小野両村などと同じく大禰宜家の嫡子に伝領され、建久七年(一一九六)惟房から子息実員に譲られた相伝私領である金丸・犬丸散在神田や大禰宜職が安堵されている(同年一一月二二日関白前太政大臣九条兼実家政所下文)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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