日本大百科全書(ニッポニカ) 「金剛證寺」の意味・わかりやすい解説
金剛證寺
こんごうしょうじ
三重県伊勢(いせ)市朝熊(あさま)町、朝熊山頂にある臨済(りんざい)宗南禅寺派の別格本山。勝峰山(しょうほうざん)兜率院(とそついん)と号し、一般には朝熊といわれる。欽明(きんめい)天皇の代に暁台上人(ぎょうだいしょうにん)がこの山に草庵(そうあん)を結んで修行し、聖徳太子も来山したと伝えられるが、825年(天長2)空海が真言密教の求聞持法(ぐもんじほう)を修して堂宇を建立したのに始まる。1392年(元中9・明徳3)鎌倉建長寺の仏地禅師(ぶっちぜんじ)(東岳文昱(とうがくぶんいく))を中興開山として臨済宗に転じた。徳川家康が四国討伐のとき滞在して武運を祈願して以来、歴代将軍の外護(げご)を受けた。江戸時代中ごろからは伊勢参りの流行とともに大いに栄え、伊勢神宮鬼門鎮護の寺として「神宮の奥の院」といわれた。本尊の福威智満虚空蔵菩薩(ふくいちまんこくうぞうぼさつ)は日本三大虚空蔵菩薩の一つである。本堂(国指定重要文化財)の摩尼殿(まにでん)は1609年(慶長14)池田輝政(てるまさ)が家康の命で建立。寺宝に朝熊山経ヶ峰経塚(きょうがみねきょうづか)出土品(国宝)、木造雨宝童子(うほうどうじ)立像(国指定重要文化財)などがある。
[菅沼 晃]