金城朝永(読み)キンジョウ チョウエイ

20世紀日本人名事典 「金城朝永」の解説

金城 朝永
キンジョウ チョウエイ

昭和期の沖縄研究者,琉球方言研究者



生年
明治35(1902)年5月18日

没年
昭和30(1955)年3月10日

出生地
沖縄県那覇

学歴〔年〕
東京外国語学校〔大正15年〕卒

経歴
幼少の頃から同郷の学者伊波普猷影響を受け、比嘉静観の主宰する組合教会の活動に参加。大橋図書館司書をつとめる傍ら、柳田國男や折口信夫らの南島談話会(沖縄民俗学研究会)の事務を担当。その後、三省堂編集員や大学に勤めながら沖縄の方言、民俗、文学、歴史などの研究に没頭した。チェンバレンの「琉球語文典及び語彙」の訳者としても知られる。著書に「那覇方言概説」「沖縄法制史」「異態習俗考」などがあり、琉球方言研究の業績は高く評価されている。「金城朝永全集」(全2巻)がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「金城朝永」の解説

金城朝永 きんじょう-ちょうえい

1902-1955 昭和時代の沖縄研究家,方言学者。
明治35年5月18日生まれ。おなじ沖縄出身の伊波普猷(いは-ふゆう)の影響をうける。柳田国男らの南島談話会に参加,沖縄研究,とくに琉球(りゅうきゅう)方言の研究に成果をあげた。昭和30年3月10日死去。52歳。東京外国語学校(現東京外大)卒。著作に「異態習俗考」「那覇方言概説」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の金城朝永の言及

【沖縄学】より

…しかし人文・社会科学の分野で〈日本文化との類同性を追求し同一化を志向する〉ことを出発当初からの基軸とした〈沖縄学〉の研究体質は,70年代に至るまで克服されなかった。金城朝永は50年に〈非日本的な異質の諸文化〉との比較研究の重要性を説いたが,顧みられないまま20年余がすぎたのである。戦後の第2段階は〈復帰〉後今日に至る時期で,金城の指摘にそった研究の深化がはかられつつある。…

【琉球語】より


【研究史】
 組織的な言語学的研究はイギリス人,B.H.チェンバレンの首里方言研究に始まる。ついで沖縄学の父といわれる伊波普猷(いはふゆう)の幅広い研究,宮良当壮(みやながまさもり)(1893‐1964)の八重山方言,金城朝永(きんじようちようえい)(1902‐55)の那覇方言の研究などがつづいた。今日のレベルの研究の基礎は服部四郎,仲宗根政善に負うところが大きい。…

※「金城朝永」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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