伊波普猷(読み)イハフユウ

デジタル大辞泉 「伊波普猷」の意味・読み・例文・類語

いは‐ふゆう〔‐フイウ〕【伊波普猷】

[1876~1947]言語学者・民俗学者。沖縄の生まれ。沖縄の郷土研究家として、言語歴史民俗に関する多くのすぐれた業績をあげ、沖縄学の父といわれる。著「古琉球」「南島方言史攷」「琉球戯曲辞典」など。

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精選版 日本国語大辞典 「伊波普猷」の意味・読み・例文・類語

いは‐ふゆう【伊波普猷】

  1. 言語学者、民俗学者。沖縄の人。琉球古謡集「おもろそうし」を中心に琉球の言語、歴史、民俗に関する多くの業績を残した。著「おもろ選釈」「古琉球」「琉球古今記」など。明治九~昭和二二年(一八七六‐一九四七

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「伊波普猷」の意味・わかりやすい解説

伊波普猷
いはふゆう
(1876―1947)

言語学者、民俗学者。明治初年の琉球(りゅうきゅう)処分に始まり、太平洋戦争の敗戦によってアメリカ軍の統治下になるまでの近代沖縄の激動期を、沖縄とともに生きた愛郷の研究者として知られる。明治9年2月20日(旧暦)那覇に生まれる。素封家の長男として恵まれた幼年期を過ごすが、中学5年生の秋、沖縄尋常中学で起こった校長排斥運動に加担して退学。翌1896年上京。この間、中学時代の恩師田島利三郎(たじまりさぶろう)の影響を強く受けて、『おもろさうし』研究を志す。1906年(明治39)東京帝国大学文学科言語学専修卒業。郷土研究を志して帰郷するが、当時の沖縄の社会的要請にこたえ啓蒙(けいもう)活動に入る。県立沖縄図書館の設立にかかわり、館長嘱託としての活動を続けるかたわら、琉球史の講演を手始めに、キリスト教に関する宗教講演、方言矯正のための音声学講演を続け、読書会を開き、子供の会を始め、組合教会の設立、演劇協会にかかわり、婦人講話会、エスペラント講習会、民族衛生講話を行うなど、多様な啓蒙運動を展開した。しかし1921年(大正10)柳田国男(やなぎたくにお)と出会い、学究に立ち戻ることを決意、『おもろさうし』の研究に打ち込む。1925年上京、以後は東京で研究生活を続け、終戦を迎える。昭和22年8月13日、戦場となった沖縄の地を案じつつ、生涯を閉じた。時代にもまれた一生は、かならずしも平穏でなかったが、いまは、風光の美しい浦添(うらそえ)の丘に霊園がつくられ、顕彰碑が建てられている。

 研究活動は、言語、民俗、歴史、文学など広範にわたり、数多くの著作を発表。諸領域の学問を総合して、沖縄という地域社会の特性を明らかにしようとした顕著な傾向は沖縄学として知られる。個々の学問の業績だけでなく、伊波普猷の沖縄学の思想的影響は大きく、現代沖縄のさまざまな活動にも影を投げている。著書に『古琉球』『おもろさうし選釈』『校訂おもろさうし』『をなり神の島』『沖縄考』『沖縄歴史物語』などがある。

外間守善 2018年10月19日]

『服部四郎他編『伊波普猷全集』全11巻(1974~1976・平凡社)』『金城正篤・高良倉吉著『伊波普猷――沖縄史像とその思想』(1972・清水書院)』『外間守善編『伊波普猷 人と思想』(1976・平凡社)』『外間守善著『伊波普猷論』(1979・沖縄タイムス/増補新版・1993・平凡社)』

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改訂新版 世界大百科事典 「伊波普猷」の意味・わかりやすい解説

伊波普猷 (いはふゆう)
生没年:1876-1947(明治9-昭和22)

言語学者,民俗学者。沖縄学の父として知られるように,伊波普猷は,沖縄文化研究の基礎を築いた。とくに,《おもろさうし》の研究で名高いが,その研究活動は広範で,専攻の言語学をはじめ,民俗・歴史・文学等々の分野にわたる。これら諸分野の研究を通じて,沖縄という地域の文化的特質を総合的に明らかにしようとしたのが,伊波の学問の特徴である。1911年に出版された《古琉球》は,柳田国男,折口信夫など本土の研究者が沖縄文化に注目する端緒をつくり,やがて,沖縄研究が日本民俗学の形成に深くかかわっていくことになる。伊波普猷の沖縄学の思想的影響は大きく,学問の分野にとどまらず,現代沖縄のさまざまな活動にも影を投げている。那覇西村に,素封家の長男として生まれた伊波は,恵まれた幼年期を過ごした。しかし,中学5年生の秋,沖縄尋常中学校で起こった校長排斥運動に荷担して退学したころから,近代沖縄社会の激動に身をさらすことになる。翌年上京し,1906年,東京帝国大学文学科言語学専修卒業,帰郷して郷土研究に着手。しかし,沖縄はじめての文学士伊波は,明治末から大正期を啓蒙活動に費やすことになった。25年再び東京に出て研究生活にはいり,本土で終戦を迎える。著書に《古琉球》のほか,《おもろさうし選釈》《校訂おもろさうし》《孤島苦の琉球史》《南島方言史攷》《をなり神の島》《沖縄考》《沖縄歴史物語》などがあり,《伊波普猷全集》全11巻に収録されている。
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20世紀日本人名事典 「伊波普猷」の解説

伊波 普猷
イハ フユウ

明治〜昭和期の民俗学者,言語学者 沖縄県立沖縄図書館館長。



生年
明治9年2月20日(1876年)

没年
昭和22(1947)年8月13日

出生地
沖縄県那覇市

別名
号=物外

学歴〔年〕
東京帝大文科大学言語学科〔明治39年〕卒

経歴
明治44年沖縄県立沖縄図書館が開館すると嘱託館長(大正10年館長)となり、琉球史の資料収集と研究に没頭。かたわら、琉球人の啓蒙活動を続け、沖縄の歴史・文化の独自性を説き、後進の研究者を育てたほか、沖縄方言と標準語の比較研究など、現場教員に大きな影響を与えた。大正14年上京、沖縄史から「おもろさうし」研究、言語学、民俗学、芸能研究へと幅を広げる。その“沖縄学”は日琉同祖論を基調とする。昭和3年にはハワイやアメリカで講演。5年帝国学士院の補助を得て「琉球語大辞典」の編纂に従事する。この間、柳田国男、折口信夫らと交流。20年沖縄人連盟代表委員となり、県民の権利擁護運動に奔走する。著書に「古琉球」「琉球人種論」「校訂おもろさうし」「をなり神の島」「日本文化の南漸」「沖縄女性史」「布哇物語」「南島史考」「沖縄歴史物語」のほか、「伊波普猷全集」(全11巻 平凡社)がまとめられている。48年伊波普猷賞が設けられた。

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百科事典マイペディア 「伊波普猷」の意味・わかりやすい解説

伊波普猷【いはふゆう】

言語学者,民俗学者。沖縄那覇の人。東大国文科卒。1910年沖縄県立図書館創設とともに館長となり郷土史料収集に努力。1925年再度上京,琉球語や沖縄史,特に大学以来のおもろさうしの研究に没頭。沖縄学の父とされる。柳田国男折口信夫などが沖縄文化に注目する端緒となったのも伊波の仕事であり,沖縄研究は日本民俗学の形成に深くかかわることになった。主著《古琉球》《沖縄女性史》《琉球古今記》《をなり神の島》《おもろさうし選釈》《南島方言史攷》等。全集11巻がある。
→関連項目外間守善

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「伊波普猷」の意味・わかりやすい解説

伊波普猷
いはふゆう

[生]1876.2.20. 那覇
[没]1947.8.13. 東京
言語学者,民俗学者,歴史家。 1906年東京帝国大学言語学科卒業。沖縄学の創始者で「沖縄学の父」といわれる。琉球の言語史,文化史の研究に貢献多く,特に古謡集『おもろさうし』を中心に,琉球の古代史,古語,古俗を実証的に研究した。『古琉球』 (1911) ,『おもろさうし選釈』 (23) ,『南島方言史攷』 (34) ,『琉球戯曲辞典』 (38) など著書が多い。また,廃藩置県は島津氏の琉球征伐とは異なり,日本への隷属ではなく,日本の一県となったことを意味するとして琉球の尊厳を説き,講演や執筆でその啓蒙に努めた。その著作の全貌は『伊波普猷全集』 (11巻,74~76) によりみることができる。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「伊波普猷」の解説

伊波普猷 いは-ふゆう

1876-1947 明治-昭和時代の民俗学者,言語学者。
尚泰(しょうたい)王29年2月20日生まれ。東京帝大に在学中,中学時代の師田島利三郎の影響で「おもろさうし」研究をこころざす。沖縄県立図書館長の職にあった明治44年「古琉球」をあらわし,柳田国男,折口信夫(しのぶ)らに注目される。大正14年東京に移住。言語・民俗などの研究をふかめ,沖縄学の父と称された。昭和22年8月13日死去。72歳。琉球(沖縄県)出身。号は物外。著作はほかに「校訂おもろさうし」「をなり神の島」など。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「伊波普猷」の解説

伊波普猷
いはふゆう

1876.2.20~1947.8.13

大正・昭和期の沖縄学者・民俗学者・言語学者。那覇市出身。東大卒。琉球古謡「おもろさうし」を中心に郷土資料の収集を行いつつ,伝統文化の価値を説き,沖縄図書館設立運動などさまざまな分野で啓蒙活動に専念。1925年(大正14)の上京後は,柳田国男や折口信夫(しのぶ)と交流しながら,在野の研究者として民俗学・歴史学・言語学の各方面で沖縄研究の基礎を築いた。著書「おもろさうし選釈」「をなり神の島」「沖縄考」。

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367日誕生日大事典 「伊波普猷」の解説

伊波 普猷 (いは ふゆう)

生年月日:1876年3月15日
明治時代-昭和時代の民俗学者;言語学者
1947年没

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世界大百科事典(旧版)内の伊波普猷の言及

【沖縄学】より

… 第2の段階は沖縄出身研究者が登場する1920年代半ばごろまでの時期である。のちに〈沖縄学のご三家〉と呼ばれる伊波普猷(いはふゆう),真境名安興(まじきなあんこう)(1875‐1933),東恩納寛惇(ひがしおんなかんじゆん)(1882‐1963)がそれぞれの研究成果を世に問い注目された。伊波の《古琉球》(1911),真境名の《沖縄一千年史》(1923),東恩納の《大日本地名辞書》続編二・琉球(1909)は研究を担う主体として沖縄出身研究者が出現したことを示して画期的な意義をもった。…

※「伊波普猷」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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