金山穆韶(読み)カナヤマ ボクショウ

20世紀日本人名事典 「金山穆韶」の解説

金山 穆韶
カナヤマ ボクショウ

明治〜昭和期の僧侶,仏教学者 高野山真言宗管長;元・高野山大学学長。



生年
明治9年10月30日(1876年)

没年
昭和33(1958)年6月11日

出生地
富山県新川郡大山町

学歴〔年〕
古義真言宗大学林〔明治34年〕卒

経歴
明治21年得度、38年古義真言宗各派連合大学林(のち高野山大学)教授となり密教学を講じ、昭和15年同大学長に就任。その間大正8年から高野山天徳院住職、15年中国を視察、昭和9年高野山宝寿院門主、修道院院長、26年高野山真別処円通寺を再興、事相講伝所を開いた。28年高野山金剛峰寺座主、真言宗管長となった。また真言密教の事相根本十二流八十四方を伝承、阿波太竜寺で求聞持法を修し、昭和4・15・20年の3回八千枚護摩を奉修、21年間奥之院祖廟に日参、肉食妻帯せず、行学兼備をうたわれた。昭和9年教育功労者として文部大臣表彰を受けた。密教学の権威として「弘法大師の仏教観」「真言密教の哲学」「秘蔵宝鑰大綱」「大日経の綱要」「真言密教の教理史」など多数の著書がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「金山穆韶」の解説

金山穆韶 かなやま-ぼくしょう

1876-1958 明治-昭和時代の僧,仏教学者。
明治9年10月30日生まれ。38年(1905)母校真言宗古義大学林(現高野山大)の教授となる。のち高野山大学長,金剛峰寺(こんごうぶじ)座主(ざす),高野山真言宗管長を歴任。肉食妻帯せず,行学兼備とうたわれた。昭和33年6月11日死去。81歳。富山県出身。著作に「弘法大師の仏教観」「真言密教の教学」。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「金山穆韶」の解説

金山 穆韶 (かなやま ぼくしょう)

生年月日:1876年10月30日
明治時代-昭和時代の高野山真言宗管長;仏教学者
1958年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

今日のキーワード

大臣政務官

各省の長である大臣,および内閣官房長官,特命大臣を助け,特定の政策や企画に参画し,政務を処理する国家公務員法上の特別職。政務官ともいう。2001年1月の中央省庁再編により政務次官が廃止されたのに伴い,...

大臣政務官の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android