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金田徳光 かなだ とくみつ

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

金田徳光 かなだ-とくみつ

1863-1919 明治-大正時代の宗教家。
文久3年9月20日生まれ。徳光教の教祖。大正元年教育勅語を教義の本旨とする御岳教徳光大教会を設立。教祖が肩代わりするという「御振替(おふりかえ)」による病気の治療や相場の予言などで教勢をのばした。大正8年1月4日死去。57歳。大坂出身。旧姓は岡田。

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朝日日本歴史人物事典の解説

金田徳光

没年:大正8.1.4(1919)
生年:文久3.9.20(1863.11.1)
徳光教の教祖。大阪府中河内郡八尾町(八尾市)に,和田徳平と岡田ミネの子として生まれ,岡田徳松といった。明治4(1871)年から,浅香久平の経営する鉄工所に奉公し,浅香の感化を受けて,弘法大師信仰になじみ,また幼いころから霊視能力を発揮したといわれる。同11年,親戚の金田家の名義を相続し,金田姓となる。同15年には独立して,堺で金物商を始める。商売の一方で,弘法大師信仰から高野山参詣を熱心にし,修行も続けた。同37年ごろ,御岳教で教師の資格を取得し,同40年には大講義となる。商売は支店を開くほど繁盛したが,同44年に神のお告げによって,商売をやめ,信仰と布教に専念する。大正1(1912)年,国家主義的団体の幹部であった山内良千,相場師の小田切徳照らが参画し,大阪府下天王寺村の自宅を本部にして,御岳教徳光大教会を設立した。このときに徳光と改名。教育勅語を教義の本旨とし,国家主義的な教えと日常生活での修養を説いた。病気や苦しみを自分の身に振り替えるという「御振替」による病気治し,相場の予知能力の評判によって,第1次大戦中,好景気の大阪で信者を増やした。教祖の死後,教勢は衰えるが,幹部の御木徳一が教えを継承して,ひとのみち教団を開き,その後身のパーフェクトリバティー(PL)教団では,教祖を「幽祖」として崇敬している。

(川村邦光)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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