日本歴史地名大系 「釜峰山城跡」の解説 釜峰山城跡かまみねさんじようあと 広島県:比婆郡口和町湯木村釜峰山城跡[現在地名]口和町湯木湯木(ゆき)の北部、古頃(こごろ)(現比和町)との境に位置する釜峰山(七八八メートル)にある。戦国時代湯木三郎則重の居城であったといわれ、「芸藩通志」は「此跡より西南に物見が段といふあり」と記す。その年代や湯木氏の系譜などについては明らかでないが、大永年間(一五二一―二八)のことともいう(比婆郡誌)。延徳二年(一四九〇)六月一九日付、同二八日付山名俊豊書状(山内首藤家文書)によると、応仁の乱の混乱期に延暦寺領泉田(いずみだ)庄(現庄原市)への進出を図った山内氏・三吉氏・涌喜氏の間で紛争が続き、山内豊成は涌喜(ゆき)城を攻撃するなどしたが、延徳二年に至っても決着をみなかった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by