銅座跡(読み)どうざあと

日本歴史地名大系 「銅座跡」の解説

銅座跡
どうざあと

[現在地名]長崎市銅座町・本石灰町もとしつくいまち

東浜ひがしはま町の南西中島なかしま川河口部の南手にある長崎そと町の一区画。史料上は銅座跡とみえることが多い。もとは浜町の地先海面を埋立てた地で、享保一〇年(一七二五)貿易品の棹銅を鋳造するため銅吹所が置かれた(通航一覧)。「華蛮交易明細記」では船大工ふなだいく町・東浜町の裏手築地ができ、銅吹屋が建てられたとする。これより先、元禄一〇年(一六九七)頃、唐・オランダ貿易の銅は大坂銅座の支配を受けるようになり、正徳二年(一七一二)に廃止されたというが(崎陽群談)、これは元禄一四年とされる。元禄一四年六月一三艘の唐人三九人が「銅吹座」に赴いて荒銅の吹分けを実見、荒銅一〇〇斤が正味九五斤半、銅正味一〇〇斤が正味九五斤となった(唐通事会所日録)。銅吹所絵図(長崎市立博物館蔵)では東浜町裏で、銅吹屋一千七二八坪・銅吹屋内一千二五三坪とあるが、元文三年(一七三八)廃され、総町外とされたという。「長崎建立并諸記挙要」は享保一一年に銅吹所が完成したとし、元文三年の停止後、寛保元年(一七四一)から銭吹所となったという。

銅座跡
どうざあと

[現在地名]東区北浜三丁目

明和三年(一七六六)過書かしよ町の長崎御用銅会所にかわって設けられた銅の専売組織とその施設。銅座は元文三年(一七三八)銀座加役として内両替うちりようがえ町に設置されたが、寛延三年(一七五〇)廃止され、長崎御用銅は長崎直買入となり、過書町に長崎御用銅会所が設けられた。幕府勘定奉行・長崎奉行大坂町奉行の支配下にあって、長崎会所役人および地役人(大坂商人)で構成。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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