日本大百科全書(ニッポニカ) 「銭穆」の意味・わかりやすい解説
銭穆
せんぼく / チェンムー
(1895―1990)
中国の国学研究者。字(あざな)は賓四(ひんし)、筆名は未学斎主。江蘇(こうそ)省無錫(むしゃく)の人。貧困のうちに中等教育を終え、ほとんど独学で諸子研究を進めた。1933年『先秦諸子繋年(せんしんしょしけいねん)』(1935刊)を完成させ、この分野の研究に大いに貢献した。このほか1931年以来北京(ペキン)大学での講義をまとめたものに『中国近三百年学術史』(1937刊)、『国史大綱』(1940刊)があり、いずれも中国独自の精神文化の根源とその変遷の跡を探り、現代に問いかけようとしたものである。1950年香港(ホンコン)に亡命、新亜書院(のちに香港中文大学に吸収)を創設して新進の指導にあたったが、1967年以後は台湾に定住して中国文化大学教授を務め、朱子学研究に専念して『朱子新学案』(1971)を著した。
[有田和夫 2016年3月18日]