鋳物師屋村(読み)いもじやむら

日本歴史地名大系 「鋳物師屋村」の解説

鋳物師屋村
いもじやむら

[現在地名]関市鋳物師屋・鋳物師屋一―二丁目・さくらおか一―三丁目・春里町はるさとちよう一―三丁目・弥生町やよいちよう一―四丁目・豊岡町とよおかちよう一―二丁目・天徳町てんとくちよう一―二丁目・北天神きたてんじん一―三丁目・南天神みなみてんじん一―三丁目・寿町ことぶきちよう一―二丁目・関口町せきぐちちよう宮地町みやじちよう・豊岡町・あさひおか東新町とうしんちよう西旭にしあさひおか稲河いなご・稲河町

津保つぼ川北岸にある段丘上の平坦な村。加茂郡に属し、東は肥田瀬ひだせ村。村名の由来は、往古伊佐与一という者が来村し、当村を開拓して代々鋳物師で生計を立てたためという(美濃国加茂郡誌)。現在も伊佐家は存続し、当地の中田勇(兼秀)氏は美濃伝(関伝)日本刀鍛錬技法で、伊佐地勉可氏は刀剣研磨で、ともに県重要無形文化財に指定されている(なお中田氏は平成元年三月没)。延文四年(一三五九)一〇月二二日の足利義詮袖判下文案(佐々木文書)に美濃国の「(鋳)物師屋郷」とみえ、同三年二月二五日の佐々木秀氏譲状によって佐々木孫童子丸に伝領された鋳物師屋郷等の地頭職が安堵されている。


鋳物師屋村
いもじやむら

[現在地名]櫛形町下市之瀬しもいちのせ

市之瀬村の東、櫛形山東麓の市之瀬台地末端下方、市之瀬川とうるし川とによる複合扇状地に立地し、根方ねかたに属する。下市之瀬村境を漆川が南東流する。

鋳物師が居住したことからの村名と推測される(甲斐国志)。天正七年(一五七九)二月五日の武田勝頼印判状写(甲州古文書)に「(物脱カ)師屋」とみえ、勝頼は山本弥右衛門に対し、当地など一〇ヵ所に穴山信君の宿所の普請人足を申付けるよう命じている。


鋳物師屋村
いもじやむら

[現在地名]更埴市鋳物師屋

東に寂蒔じやくまく村、北に打沢うつさわ村、西に新田しんでん村、南に小舟山こぶねやま(現埴科郡戸倉町)に囲まれた平坦地の小村。古い記録にはみえない村名で、「和名抄」にある船山ふなやま郷の一部であると伝えられる。村名の初見は、慶長七年(一六〇二)の川中島四郡検地打立之帳で、「鋳屋(鋳物師屋)村 高弐百拾三石七斗九升」とあり、森忠政の検地の頃一村として認められたものであろう。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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