形町(読み)くしがたまち

日本歴史地名大系 「形町」の解説

形町
くしがたまち

面積:四二・五七平方キロ

郡の中央部に位置し、東は若草わかくさ町、南は甲西こうさい町と南巨摩郡増穂ますほ町、西は芦安あしやす村、北は白根しらね町に接する。町域は南西境にある標高二〇五一・七メートルの櫛形山を背に東方山麓の扇状台地、および釜無川右岸の平坦地からなる。南北八・七九キロ、東西一二・一三キロ。集落は標高八〇〇メートル前後の山腹から市之瀬いちのせ台地、その下方の甲府盆地底部に立地する。当町から若草町にかけての集落は、その立地によって古くから山方やまかた根方ねかた原方はらかた田方たかたと呼び習わされている。櫛形山腹の山地に位置する山方には高尾たかお村が属し、山麓および市之瀬台地の上・下に立地し、生活を田と畑とによった根方には平岡ひらおか上宮地かみみやじ曲輪田くるわだ・上市之瀬・下市之瀬・中野なかの上野うえの山寺やまでらの八ヵ村が属した。根方は台地の上と下で坂上と坂下に分れている。御勅使みだい扇状地扇央の乾燥地帯による原方には、小笠原おがさはら桃園ももその上今井かみいまい吉田よしだ(のち分村した十五所村・沢登村とも)の四ヵ村が属した。いわゆる旱魃地帯で上八田うえはつた西野にしの在家塚ざいけつか(現白根町)の三ヵ村と合せ原七郷と称された。なお当町域には田方に属した村はない。櫛形山に源を発する大和おおわ川・高室たかむろ川・入増いるまし川が合流する滝沢たきざわ川が中央北部寄りを、またうるし川と合流した市之瀬川が南部をそれぞれ東流する。東部を国道五二号(旧駿信往還)が縦走し、これに沿って街村状に集落が発展している。国道沿いの小笠原おがさわら橋際から主要地方道甲府―櫛形線(戸田街道)および県道韮崎―櫛形―豊富とよとみ線が分岐する。また国道五二号に並行して、山梨交通電車の軌道跡を利用した通称廃軌道と八メーター道路が通り、これらに交差する形で北部を県道桃園―市之瀬線が東から南へ、南部を同伊奈いな公園線が東西に走る。

町内には平成元年度の遺跡分布調査により旧石器時代三、縄文時代六九、弥生時代四六、古墳時代三七、奈良・平安時代一一八、中世一四〇、近世六四の遺跡が確認されている。県内で全時代の遺跡がそろう地域はまれで、これは山地・台地・扇状地と、各時代の生業活動に好適な自然地形がそろっていることによる。旧石器時代では市之瀬台地上にナイフ形石器が出土した長田口おさだぐち遺跡、ナイフ形石器と槍先形尖頭器の出土した六科丘むじなおか遺跡がある。いずれも長期的な生活跡は見いだされていない。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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