錦村(読み)にしきむら

日本歴史地名大系 「錦村」の解説

錦村
にしきむら

[現在地名]三和村錦

藤塚ふじつか南西部の平地にあり、東は島倉しまくら村、南西は柳林やなぎばやし村に接する。戦国期には錦要害が置かれた。天正七年(一五七九)二月一八日の専柳斎秀仙書状(歴代古案)には「にしきの地」とみえ、この要害からの御館おたて(現上越市)の上杉景虎方への兵粮輸送路を断つよう上杉景勝が上野九兵衛尉に命じている。同月のうちに錦在陣衆は景勝方に降り、春日山かすがやま(現上越市)人質を差出した(同月「専柳斎秀仙書状案」上野文書)。文禄(一五九二―九六)頃の頸城郡絵図には「御料所斎木分嶋蔵孫左衛門分にしき村 上」とみえ、本納一八四石五斗五升六合五勺・縄高三二九石五斗二升、家一八軒・五八人とあり、川の左岸に描かれる。


錦村
にしきむら

[現在地名]宿毛市錦

宿毛村の西、新城しんじよう(三〇二・八メートル)の南東麓にある山間の村で、宿毛郷一村宿毛街道が通る。「土佐州郡志」は「縦横十町、戸凡十五」と記し、村内小錦之谷の項で「伝云、村中有謂寺屋鋪処、昔法花津弥四郎者居此、其妻京師人而善織故為村名、其織具埋此谷中」と地名由来を述べる。天正一八年(一五九〇)の宿毛西分地検帳に村名がみえ、検地面積一六町七反余、大半は「御直分」。屋敷数一四うち居屋敷五。屋敷のうちには「ホウツアン寺」が含まれる。

江戸時代の当村は元禄地払帳では地高総計二七九石余、本田高一六七石余は山内源蔵(宿毛山内氏)知行、新田高一一二石余のうち山内源蔵の役知一一一石余、残りは宿毛郷大庄屋給。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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