錦見
にしみ
[現在地名]岩国市岩国一―四丁目の全域と同五丁目の
大部分、および錦見四―五丁目・同七―八丁目の全域と
川西四丁目の一部
錦川左岸に位置し、岩国城下の町方の中心である錦見町(錦見七町)と武家屋敷地からなる。錦川の川筋を西方に大きく迂回させ、旧河床や州を埋めて造成した地。山と川に挟まれ、西北から東南へ引いた線(大明小路)を軸に西南側に半円を描いた形をし、西北から東南に縦町が通り、東北から西南へ横町が区切って、矩形を基本にした街区が作られている。半円形の西北の半分中央に町地の錦見町があり、武家地はそれを包む形をなす。
「享保増補村記」によれば街の軸をなす大手の通りを大明小路と称し、長さ四町三六間、その延長の善教寺小路(二町一七間)までが慶長(一五九六―一六一五)の計画で、さらに延長の新小路(四町一四間)は寛永(一六二四―四四)頃の拡張区である。この延長一一町余が、錦帯橋により横山の中小路と一線につながる中央通であった。
大明小路の北側の裏街(三町一三間)とさらに東に折れて江臨寺谷まで(一町四五間)の計四町五八間が山手小路とよばれる。山手小路に交わる横町は、上の谷六三間、草野谷五四間、五軒谷三七間、的場小路五九間、江臨寺谷三三間。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
Sponserd by 