日本歴史地名大系 「錦見町」の解説
錦見町
にしみまち
錦見の西北部、岩国城下のほぼ中央に位置し、武家地に囲まれた小区画で、城下建設当初は唯一の町地であった。大手の隣二筋の道のうち、北の筋を本町と称し、上から
錦見町の屋敷数は、寛永二年(一六二五)に二三九軒、面積三町七反七畝余。慶安四年(一六五一)二六八軒。承応三年(一六五四)の大火で町の大半を焼失、翌年再建し二八〇軒、面積三町八反余となった(承応四年の町屋敷御帳写)。享保一六年(一七三一)に三四九軒、同一一年調べの人口は二千九六九人(享保増補村記)であるが、この統計には七町のほかに新小路町が加算してある。
職業による町割はあまりはっきりしていないが、米屋町に鍛冶職、塩町に諸職人、材木町に大工・木挽が多く住み、豆腐町は下町として活況を呈した。しかし全般に専業は少なく、種々の販売製造を兼ねた店が多く、同町で何代も同種の職を続けた例は少ない。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報