朝日日本歴史人物事典 「長井宗秀」の解説
長井宗秀
生年:文永2(1265)
鎌倉後期の御家人。時秀と安達義景の娘との子。弘安5(1282)年引付衆となり,同年宮内権大輔に任官。その後評定衆に任ぜられる。永仁1(1293)年には執奏および北条宗宣と共に越訴頭人となる。また執権北条貞時の寄合衆として,政治の中枢に参画し重要な役割を果たす。同年には引付頭人に昇格。正安2(1300)年ごろ掃部頭に任官。貞時の死後は,執権北条高時主宰の寄合に加わり,得宗専制体制を支える役割を果たす。正五位下を極位とする。また歌人としても知られ,『新後撰和歌集』以下の勅撰集に入集。
(佐々木文昭)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報