長尾円澄(読み)ナガオ エンチョウ

20世紀日本人名事典 「長尾円澄」の解説

長尾 円澄
ナガオ エンチョウ

明治・大正期の僧侶,園芸家 長福寺住職



生年
安政6年3月14日(1859年)

没年
大正11(1922)年1月28日

出生地
備後国(広島県深安郡神辺町)

経歴
9歳の時、備後国小田郡にある真言宗の名刹長福寺に入り、同寺住職の仁覚師事。次いで高野山で修行し、20歳の時に長福寺住職となった。明治16年明治維新後の混乱で荒廃した寺を再興するため、篤農家渡辺淳一郎の協力で寺領に7ヘクタールの果樹園を造成し、桃の栽培を開始。のちには収穫や荷造りに工夫を加え、桃の遠隔地輸送を可能にした。また、品種改良の研究にも従事し、桃の優良品種「土用蜜桃」を開発。この品種は、間もなく全国的に普及し、桃の名産地・岡山の名声を更に高めることとなった。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「長尾円澄」の解説

長尾円澄 ながお-えんちょう

1859-1922 明治-大正時代の園芸家。
安政6年3月14日生まれ。岡山県山口村(笠岡市)の真言宗長福寺の住職。寺領に果樹園(五花園)をひらき,渡辺淳一郎の指導・協力をえて果樹の栽培,育種の研究につとめ,桃の優良品種「土用水蜜」をつくりだした。大正11年1月28日死去。64歳。備後(びんご)(広島県)出身

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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