長崎郷(読み)ながさきごう

日本歴史地名大系 「長崎郷」の解説

長崎郷
ながさきごう

中世の郷名。現長崎に比定される。長前とも書く。「吾妻鏡」治承四年(一一八〇)一〇月二一日条によると、源頼朝が三嶋社(三嶋大社)参詣、同社に寄進した神領のなかに「長崎」が含まれていた。文治元年(一一八五)四月二〇日、長崎は二宮八幡宮(三嶋大社の摂社か)の放生会料所として三嶋社神主西大夫盛成に付されている(同書)。正和四年(一三一五)九月一〇日、三嶋社神主盛時の遺領配分が鎌倉幕府によって安堵され、そのなかに「伊豆国長崎郷」内の田三町が含まれており、盛時の子息厚盛の支配が認められた(「関東下知状」三嶋大社文書)


長崎郷
ながさきごう

鎌倉期からみえる郷名。ともえ川中流右岸の現長崎辺りに比定される。正応六年(一二九三)七月二九日の関東下知状(鶴岡八幡宮文書)に「入江庄内長崎郷」とみえ、当郷の三分の一が隣接地の楠木くすのき村とともに鎌倉鶴岡八幡宮に寄進されている。延文四年(一三五九)一二月二三日伊達盛貞から子息矢部氏定に譲られ、範氏によって安堵された所領のなかに吉河きつかわ郷長崎村があった(「駿河守護今川範氏書下」駿河伊達文書)。同村は地理的にみておそらく当郷に隣接した地であったと思われる。「鶴岡事書日記」応永三年(一三九六)二月一三日条によると、鶴岡八幡宮の衆会で、供僧二階堂民部僧都宗祐が駿河の事情に詳しい人物として、長崎・楠木の代官に決まっている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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