長春真人(読み)ちょうしゅんしんじん

日本大百科全書(ニッポニカ) 「長春真人」の意味・わかりやすい解説

長春真人
ちょうしゅんしんじん
(1148―1227)

中国の道士。姓名は丘(邱)処機(きゅうしょき)。道号は長春子。山東棲霞(せいか)の人。金(きん)末・元(げん)初に新教団の全真(ぜんしん)教を開いた王重陽(ちょうよう)(王嚞(おうてつ))の七真すなわち高弟7名の一人で、長春真人と称せられる。1219年に西征中の元太祖チンギス・ハンの招きに応じ、弟子18名とともに砂漠を越えてついに太祖に謁し、道教の最高責任者たる勅命を受けて燕京(えんけい)(北京(ペキン))に帰る。ここで天長観に住し、やがて長春宮と改称した。これが明(みん)代以降の全真教叢林(そうりん)(大本山)白雲観前身である。そのときの旅行記『長春真人西遊記』があり、また文集に『磻溪(はんけい)集』その他がある。現在も白雲観には長春祖師を奉祀(ほうし)する丘祖殿があり、長春真人のほか、張真人(?―1840)以下8名の白雲観掌教(住持)の祖師をその左右に配祀してある。

[澤田瑞穂 2018年5月21日]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「長春真人」の意味・わかりやすい解説

長春真人
ちょうしゅんしんじん
Chang-chun Zhen-ren; Ch`ang-ch`un Chên-jên

[生]金,皇統8(1148)
[没]正大4(1227)
中国,末期およびモンゴル国初期の道士。登州棲霞 (山東省棲霞県) の人。俗姓丘処機。字は通密。号は長春子。長春真人は道号。 12世紀中頃の全真教団の開祖王重陽の高弟7名の一人。興定4 (1220) 年西征途次の太祖チンギス・ハン (成吉思汗)の召しに応じて出発,外モンゴルビシバリクサマルカンドを経て,元光1 (22) 年ヒンドゥークシ山脈の南で太祖に謁し,道教の最高管理者地位を与えられた。その旅行記『長春真人西遊録』は東西交通の貴重な資料である。ほかに『はん渓集』『摂生消息論』がある。

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旺文社世界史事典 三訂版 「長春真人」の解説

長春 真人
ちょうしゅんしんじん

1148〜1227
金末〜元初期の道教全真教の道士
登州(山東省)の人。全真教の祖王重陽 (おうじゆうよう) に学んだ。チンギスハンの招きで,ヒンドゥークシ山脈の南まで行き,『長春真人西遊録』の大旅行記を残した。道教の最高管理者の職を授けられ,燕京 (えんけい) (現在の北京)で没した。

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改訂新版 世界大百科事典 「長春真人」の意味・わかりやすい解説

長春真人 (ちょうしゅんしんじん)
Cháng chūn zhēn rén

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世界大百科事典(旧版)内の長春真人の言及

【丘処機】より

…中国,金代の革新的道教教団である全真教の開祖王重陽の高弟の一人。道士としての称号〈長春真人〉で知られる。西征中のチンギス・ハーンが使者を遣わして招いたのに応じて70歳以上の身で1220年出発,22年,今のアフガニスタン北部でハーンに謁見した。…

※「長春真人」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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