改訂新版 世界大百科事典 「王重陽」の意味・わかりやすい解説
王重陽 (おうじゅうよう)
Wáng Chóng yáng
生没年:1113-70
中国,金代の道士。新道教の一派,全真教の創立者。陝西省咸陽大魏村の人。初めの名は中孚,字は允卿,得道して名を喆(嚞)(てつ),字を知明(智明)と改め,重陽子と号した。最初科挙を目ざしたが果たさず,武挙(武官の試験)に応じて合格した。けれども重用されず,締りのない生活を送り,害風と呼ばれた。1159年(正隆4),甘河鎮で呂洞賓ともされる異人に会い口訣(くけつ)を授けられてから,妻子を棄てて修業し,得道して全真教(金蓮正宗)を開いた。その開宗の精神は《立教十五論》に示されている。そこでは,心を安定させ,性命を鍛錬し,神気を和暢(わちよう)させることの重要性を説き,そのために,多読を避け,打坐を修行法とし,動静に中を得るべきことをのべる。彼はまた,教徒に《道徳経》《清静経》《般若心経》《孝経》を読むことを勧め,儒仏道の三教一致を説いた。なかでも禅宗の影響が大きい。弟子に馬丹陽以下七真があり,著に《重陽全真集》などがある。
執筆者:砂山 稔
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報